中学生にして携帯を持つ

今時の中学生や高校生はみな携帯を持っているのだろうか?
検索していくつか見てみたら今から3・4年前のデータであっても
全国平均として高校生で90%を超え、中学生で60%を超えていた。
例えばこういうサイト参照。
http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/kyouiku/shouhisha/105/1.htm


たぶんこの割合は07年となってもそれほど変わらないと思う。
「中学生が携帯を持つのはまだ早い」
「非行の原因となるのではないか」と考える親は日本でもまだまだ多いはず。


僕はとりあえず今、その是非を問いたいわけではない。
本人が必要と思ってて両親も必要と思ってれば持ってればいいんじゃないの?と思う。
さっき「非行」って書いたけど、世の中に携帯があろうが無かろうが
不純異性交遊に走る男の子や女の子はいつだっているだろうし、
いじめもなくならないだろう。
時代が変わればツールが変わる、というだけのことでしかない。


今僕が思ったのは、僕の時代に携帯があったらどうなっていたか?ということだ。
青森市の郊外。かなり外れの方。
何にもすることがない。塾に行くわけでもない。冬になると雪に閉ざされる。
校庭でゴムボールで野球をやったり、誰かの家に行ったり。あと、部活動。
そんな毎日だった。
その頃はまだ新しもの好きだった僕は携帯を欲しがっただろう。
もしかしたら手に入れたかもしれない。
でも、いったいいつ誰とどこで何を話すのだろう?
メールだろうか?


思春期に入ったばかりの男の子が憧れの女の子のメールアドレスを教えてもらったり
どこからか回ってきて偶然知ったりってんでドキドキする。
どうせそういう状況を夢見て欲しくなるんだろうけど
あんまそんなときめく瞬間ってのはなくて、
「今から野球やんね?」とか「予習やった?」とかその程度の内容のメールを、
僕同様「他にメールを送る相手がいない」者同士で送りあうのだろう。
想像して僕はゾッとした気持ちになった。
あの頃、携帯なんてモノがなくてよかった。


誰からかメールが届くのを待って、一晩中それとなくソワソワしているのに
誰からもメールが届かない。そんな日があったら、絶望的な気分になるじゃないか。
そしてそれが14歳とか15歳だったら世界の終わりみたいなもんじゃないか。
この年になるとそんなのどうでもいいけど、
だから10代の子供たちはあんなにメールを送りあっているのだと思う。


僕が住んでいた、あの何もない住宅地に住む子供たちの多くが携帯を持っているのか。
そう思うと何かがなんとなく不思議な気持ちになる。
いったいどんなことを話してるもんだか。
東京の子供たちと本質的にあんまり変わらないのだろうか?
言葉が方言だというだけで。


いや、もしかしたら今時の子供たちはどことなく方言が混じっているけど、
僕らよりはるかにきれいな、標準語に近い言葉を話しているのかもしれない。
なんとなくそんな気がする。
今から何十年か前、テレビの普及によりこの国の言葉は画一化の方向に向かったのでは。
子供たちが見たいと思って見るテレビの中で話されている言葉を
子供たちが真似するのは当然であって。
それがまたこの時代になって、
携帯の普及によりさらに画一化の方向へと向かうのではないか。
根拠は無いけど、なんとなくそう思う。