product design

スーパーの2階の衣料品売り場で売ってるような服、と言ったらイメージは伝わるだろうか。
2000円か3000円ぐらいの安いトレーナー。安っぽいロゴ入り。
今現在の僕は「こんなの着る人いるんだろうか?」なんて思うけど、
スーパーの2階なんて場所で大量に売っているってコトは、それなりに売れるわけだ。
服に金をかけることに興味の無い人は世の中にたくさんいるのだろうし、
服に金をかけることのできない人はもっといるのだろうと思う。


こういう服って見事なまでにどれもこれもいけてない。
例えば、ダウンジャケットだと妙に縫い目が目立つようになってたり。
でも、これはこれでデザインしてる人がいるはずなんだよな。


どういう人がデザインしているものなんだろうか?とふと気になった。
それなりの資格をもった服飾デザイナーが
「この層をターゲットにした2000円の服だから、この程度でいい」と
意図的にデザインを貶めているのか。仕事は仕事と割り切って。
それとも、やはりいけてないデザイナーがいけてない仕事をしているのか。


かっこわるいだけのロゴならば入れなければいいと思う。
なぜどれもこれもゴテゴテと何かしら張り付いているのだろう?
こう言ったら反感を買うかもしれないが、ある種の貧乏性なのだろうか。
無印良品ユニクロの服も同じような値段なのに、
シンプルで機能的で、より「価値のある」商品であるように思える。


なんらかの理由により、意図的にデザインを貶めているのだと僕は考える。

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この世界はありとあらゆる目的のために様々な場所で日々生産される
ありとあらゆる形と大きさと色の product で満たされている。溢れ返っている。
その全てがデザインという過程を経て生まれてきたものだ。
Yシャツ、キーボード、ボールペン、ペットボトルの容器、DVDプレーヤー。
当たり前と言えば当たり前のことだ。
だけど普段暮らしていてそのことに思い至ることは無い。


僕らの生活はどこかの誰かが意思を持って形作った物に取り囲まれて成り立っている。
今この部屋にある物の1つ1つに、それをデザインした人の意思が宿っている。
そんなことに思いを馳せると、途方もない気持ちになる。

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もちろん、社会の教科書的にデザインだけでなく
その製品を工場で生産した人やそのラインを監督した人やそれをパッケージに包んだ人や
それをトラックに積んで運んだ人やそれを陳列棚に並べた人や、
今もっと前にその原料を生成した人がいる。なんてことも考える。
どれだけの人を介在して今この消しゴムは僕の目の前にあるのか。
いや、ほんと、大変なことだ。
どれもこれもがそうなのだ。


逆に、僕の日々行っていることが
どこかの誰かの使っている何かに結びついているのだろうか?
パッと見思いつかないけど、必ずどこかにつながっていくのだろう。
社会ってそういうものなのだ。
無数のそういうものの組み合わせや積み重ねなのだ。途方も無い規模での。

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いかん。これ以上考え続けるととんでもないことになる。


取り留めなく考えたけど、今日はここまで。