僕の住む街はいつだってサイレンの音が聞こえている。
現れては街のどこかを掠めて、遠ざかり、消えていく。
そしてまた別の音が、別の方角から。
その姿は見えない。
僕はこの街に来てからずっと、西日の差し込む部屋、
何もない床に横たわって天上を見つめながら、それらの音を聞いている。
それがいくつ聞こえてきただろうか、ふと気まぐれに数えてみる、
途中で疲れ切って、ばかばかしくなってやめる。
僕は僕がこれまでに出会った人たちのことを思い出す。
名前しか思い出せない人もいれば、その背格好しか思い浮かばない人もいる。
一様にその顔はどれもぼんやりとしている。
その人たちと交わした会話。その断片を僕は呟いていた。
そんな自分に気付いたとき、僕は立ち上がり服を着替え、部屋の外に出る。
そして街の中へと入っていった。喧騒の中へと。
今、目の前を一台の青い車がゆっくりと通り過ぎていった。
無機的なサイレンの音をスピーカーから鳴らしていた。
人々はそこから目をそむけ、立ち去ろうとした。
僕は好奇心に駆られて、その車がやってくるのをちらちらと眺めていた。
すると助手席に座っていた男と目が合った。
その男は僕を見つめていたのではなかった。
ただただ、目の前に広がっている世界に対して目を向けているだけの風情であった。
そしてまた別のサイレンが別の方角から聞こえだす。
別な色の車が。別な人を乗せて。全然別の目的のために。
僕は僕がこれまでに出会った人たちのことを一人一人忘れてしまおうとする。
薄暗い部屋の中、たった一つしかない椅子に座って、やることといったらそれだけ。
ある日、自作のサイレンを手の中で回してみた。
それは鈍い音を立てて、しばらく単調に鳴り響いて、
途中で疲れ切って、ばかばかしくなってやめると、音がしなくなった。
僕の部屋の中のサイレンの音は僕にしか聞こえない。
僕の部屋の中のサイレンの音は僕のためだけのものだ。
僕にしか、聞こえなかった。
僕はサイレンを手に、街を歩いた。
鞄の中に隠して、いつでも取り出せるようにした。
そのときの僕の気分は、いつもとは違っていた。
見ると、街を歩く全ての人がそんなふうにしていた、ように僕には感じられた。
老いも若きも、男も女も、それぞれのサイレンを抱えている。
様々な色の、様々な音の、サイレン。
それらの音が聞こえてこないとき、
そのときどれだけの喧騒が沸き起こっていたにせよ、街はひどく静かに感じられる。
僕は立ち止まって鞄の中のサイレンに手を伸ばす。
それがそこにあるということを知って、また歩き出す。
当てもなく歩く。さまよう。
僕はこの街の中で知っている人はいない。
恐らくこの街に住む人は、誰だってそうだ。