眠りに落ちていく

眠りに落ちていく瞬間っていったいどうなっているのだろう?
目を覚ましている状態との境目ってどんな状態なのだろう?
布団の中に入ってうつらうつらしているといつのまにか眠っている。
ゆるやかな移行期間が介在しているのか、それともふっと切り替わるのか。
ある瞬間を境に記憶がなくなっているのだろうけど、
その瞬間を体験したことがない。恐らく誰しも、ない。


時々、眠りへと入っていきそうになって失敗してガクッとなることがある。
あれがそうなのだろうか。きっとそうなのだろう。
だけどあれは失敗した瞬間からこちら側へと引き戻されるときの感覚だ。
そのとき例え一瞬ではあっても扉が開いて、向こう側が垣間見えたはずなのに、
その扉をくぐる感覚や「向こう側」に広がっていた光景は
結局のところ失われてしまっている。


その瞬間、どこまでもどこまでも奈落の底へと落ちていくような感覚がある。
なぜ「落ちていく」のだろうか?
そのとき僕は、というか人は、どこにたどり着いたのだろう?
暗闇の中を突き落とされる。
あるいは、それまでそこにあった地面がなくなる。
不吉な思いと共に目を覚ますことになる。
心臓がドクドクと高鳴る。


ある種の比ゆ表現として人は眠りに「落ちていく」と言う。
しかしそこから引き戻されるときも「落ちていく」わけだ。
このことに何か意味がありそうなんだけど、恐らく何もないのだろう。


眠りというものを一時的な死になぞらえることがある。
それが死であるならば、そこには天国と地獄がある。
夢の中で穏やかな天国の心地を味わうものもいれば、
既にして地獄の苦しみに苛まれるものもいる。
いや、一時的な死とはそういう幻想ではなくて
果てしなく広がる暗闇を、無を、先取りして
その身に慣らしていくことを指しているのではないか。


ある種の見方に照らし合わせて言えば
生きている間とは死ぬための準備期間に過ぎない。
そして夢を見るという行為はそれまでの人生の走馬灯ということになる。
夢を見ることがなかったら、
人の一生というものはひどく無味乾燥なものになっていただろう。
人間という生き物は情緒と呼ばれるものを欠落したまま進化したかもしれない。
生まれてはただただ死んでいくだけの、生き物。


眠りという名の橋渡し。
眠りの向こう側へと渡れなかったとき、
僕はオルフェウスのことを思う。
先立った妻を冥界から連れ戻そうとしたが、
冥界の王ハデスとの「決して振り返ってはならない」という約束を忘れて
彼は妻の顔を見るために振り返ってしまう。
彼は1人きり現世へと突き落とされる。
これまでに生を受けたあらゆる人間がオルフェウスの生まれ変わりである。
僕らはみな、呪われた生き物である。