ある種の褒め言葉の1つに「あの人は敵に回したくないなあ」というのがある。
文脈によっては敬遠の意思を表すことも多く、むしろそちらの使われ方の方が多いのかもしれない。
だけど含みを持って使われるとき、
「あの人を味方につけたいなあ」と言われるよりも人が受ける印象・効果は強い。
端的に言って「あの人は敵に回したくないなあ」の方がかっこいい、というか凄みがある。
諸刃の刃になるのかもしれないけど、他の人にはない尖った部分があるということで。
これまでの人生でそういう人に何度か出会ったことがある。
頭の回転が速くて切れ者だったり、
ポジティブな意味での存在感というか威圧感がすさまじかったり。
こちら側のこともあれば向こう側のこともあった。
癖はあるけど、概して、仕事ができる。
今この年にして考えることではないけど
社会人としてどうありたいか?と自ら問うたときに思い浮かぶのは
「あの人は敵に回したくないなあ」と一目置かれるような人でありたい、と。
なんでそう思うのかっては簡単で、僕がそういうのとは対極にあるから。
かといってその対極とは「あの人を味方につけたいなあ」ではなく、
プラスにもマイナスにもならず、そういう観点では限りなくゼロに近い凡庸な人。
一言で言うと「その他大勢」
社会人として早いもんでもう9年目。
僕もまた「その他大勢」の一人に成り果てた。
尖らせるに値するものがなかったのか、方法や環境など尖らせ方がまずかったのか。
それ以前にぐうたらなまま過ごして尖らせることを怠ったからか。
何にせよ「尖る」ということについては無自覚で来たね、この年まで。
自分に関係するワードだとも思わなかった。
今思うと身の回りで、程度の大小はあれ尖ってるところのある友人ってのは
昔から尖ってるということに敏感で、自らそれを追い求め常に磨いて、発信していた。
感性のアンテナをいかに広げるかって言い方をしてみたり。
その分野でどんどん交友関係を広げていったり。
この年になるとそれはだいたいのところ
その人の個性として定着したように感じられる。
で、そういう人は例外なく面白い。接していて、楽しい。
僕がなんか若い人に対して言うとしたら、そういうことになるね。
どこか1つでも持ち味を見つけて、それを磨いて、
他の人にはない存在感を勝ち得ること。
そんなことをツラツラと思ったのは
新入社員が勢ぞろいしている大きな研修室にてクラブ紹介として映画部の発表をしたり、
お客さんのところに行けば「新人が今日配属されて」という話になったり、
4月頭ならではの浮き足立った雰囲気をあちこちで感じるから。
その他大勢として生きるのはやっぱつまらんよね。