僕は父に恋をする

僕がこの年にもなって女性とお付き合いをした経験がないのは、
これまでずっと僕が潜在的にマザコンだからだと考えていた。
理想の女性を思い描くと、多くの部分で母親の人となりが重なってくるのではないか。
これまでの人生において僕のことを最もよく知っている女性でもある。
そして僕はいまだに、母の言いつけにはなんのかんの言いつつもことごとく従ってしまう。
僕は母という存在から逃れられないのだ・・・


・・・違う。そういうことではなかった。
最近になって分かった。
眠れない夜、心の中で思い描くのは幼いときに生き別れになった父の姿。
閉じたまぶたの裏にそっと浮かび上がる、たくましい父の背中。


父が今ここにいるのならば銭湯でも温泉でもいい。
父の背中を流してやりたいと思う。
そして僕は父に背中を流されたい。
幼い頃、父と公園でやったキャッチボール。
帰りにいつも駅前のスーパーでお菓子を買ってくれたっけ・・・


一人きりの夜、僕は父のことを考えると胸が高鳴る。
高鳴って鳴り止まない。
悶々とした気分を抱え、いてもたってもいられなくなる。
そんなとき僕はランニングシューズを履いて外に出る。
夜の街を走る。疲れきってクタクタになるまで走る。
何も考えられなくなって、布団の中にもぐって眠る。
父の夢を見る。


夢の中で僕は父と二人きりだ。
岸壁の上に立って荒れ狂う海を眺めたこともあれば、
古びた鉄道の客車で向かい合っていたこともある。
父は何も言わないし、僕も何も言わない。
記憶の中の父はいつまでも若いままで
そして僕は少年に戻っている。
駅に着くとそこは色褪せた風景以外に何もなくて、父は僕の手を握る。
父と僕は足を踏み出し、風景の中へと溶け込んでいく。
いつもそこで目が覚める。


父の側に寄るとタバコの匂いがした。
セブンスターだったか、ハイライトだったか。
夢から覚めたとき僕は時として、その匂いを感じ取ることがある。
そこはかとなく漂っている。
錯覚かもしれない。しかし僕はその只中にいる。
そんな時僕は目を閉じてその残り香を嗅ぐ。
父の名前をつぶやく。
そしてそれを何度となく繰り返す。