ツアーでペルー その6(4月21日)

リマの空港にて


入国審査の記憶なし。
飛行機の中で出入国カードと関税申告書を書いたのは覚えてんだけど。
メモにも何も残っていない。


22時半。
気がつくと薄暗くて素朴な雰囲気の
Baggage Claim にてスーツケースが出てくるのを待っている。
果たして成田で積んだ自分のスーツケースが出てくるのだろうか・・・
いつもこのときは緊張する。
ターンテーブルを回る様々な形・大きさ、様々な色・素材のスーツケース。
あるいはそれに類する用途のために利用された容器、鞄。
強化プラスチックの小型コンテナにキャスターをつけたようなのとか。
日本では絶対お目にかかれない。
世の中にはいろいろなスーツケースがあるものだと感心させられる。


スーツケースが見つかって、ゴロゴロ転がしながら歩く。
税関に行く前に両替。100ドルを交換して312ソルとなる。
(ほんとはこんなに替える必要はなかった。10ドル分もあれば今回の旅は十分だった)


税関へ。メキシコ同様、ボタンを押して信号機で緑が出た人はノーチェック、
赤が出た人は検査へ。
他の人たちはことごとく緑だったのに、案の定、僕は赤が出た。メキシコの時と全く同じ。
X線は通さなかったものの、鞄とスーツケースは開けて中を探られた。
特に目につくものはなしってことですぐにも終わり。


税関のエリアを通過して、到着口へ。
柵の向こうに押し寄せる大勢の人々。メキシコのときと同じ。
出迎えだったり客引きだったり。もしかしたら一晩でも平気でいるのかもしれない。
手に持ってるのはホテルの名前や個人の名前を書いた札。
赤いバラを一輪抱えている人もいた。恋人を待っていたのだろうか。


この辺りから人によってはしっかりと観光モード。
これら大勢のペルー人がいる前で
堂々とポーズを決めて写真を撮り合う夫婦(カップル?)が現われる。


添乗員のKさんが成田−ヒューストン−リマの航空券を回収していたので渡す。
これが全員分揃ったら、成田から全員リマまで来たことの証しとなるのだそうだ。


ここから現地旅行会社の日本人ガイドのUさんが同行。
空港から外に出る。駐車場へ。ポーターが全員分のスーツケースをバスの中に運ぶ。
僕らも乗り込む。23時を過ぎている。
添乗員のKさんが改めて自己紹介、そしてガイドのUさんも
ペルー人と結婚してリマで暮らし始めて10年になると自己紹介をする。
リマやクスコに長年住む日本人の多くがガイドを職業としてるんだろうな。


観光ガイドと移動手段の手配を HIS が全てをまかなうのではなく、
主体となるのはあくまで現地の旅行会社。そういうものなのか・・・
添乗員はあくまで現地までの案内と全体的な行程管理。まさにコンダクター。
そりゃそうだよな。添乗員がガイドも努めて
ホテルやバスの運転手との交渉もその場で全てやってたら体がいくつあっても足りない。
そういう実質的なあれこれ細かいことを現地の旅行会社に任せないことには先に進まない。
だったら、その国に来るまでは僕でもできるから、
着いたらその国の日本系旅行会社の用意しているツアーに参加ってのが
安上がりで効率的ではないか。なーんて僕は考えた。次はそういうのでもいいかも。
2年前メキシコ行ったときがそんな感じあったけど。


窓の外を流れるリマの街並みを眺める。
「旧市街」と称される地区。
四角い箱を縦に横に積み重ねたような家が密集している。
通りはがらんとしているのに、殺気のようなものがうっすらと漂っている。
薄汚れた格好をした若者がブラブラと歩いたり、街角に佇んでいる。
年老いた女性が人目を避けるように小走りに路地裏へと消えていく。
「すさんでいる」という印象を受ける。
箱の1つは中でチカチカと光が瞬いて音楽が大きな音で鳴らされている。
クラブかディスコみたいなものか。
旧市街にはコロニアル様式の教会が30個あったが、
不法移住者が破壊してしまったという。


バスに乗っている間、ガイドのUさんがあれこれ解説を始める。
以下、メモしていたこと。


「リマの町の交通事情はいいかげんです。
 道路工事がいきなり始まって迂回しなくてはならなくなったり、
 お祭りがいきなり始まって迂回だったり。
 交通ルールはあってないようなもの、歩行者優先ではないです。
 車が故障したらそれっきり置き去りにされます。
 飛行機だって遅れます。1時間2時間の遅れはよくあることで、
 私の知っている限り最長9時間の遅れってのがありました」


「生水は飲まないこと。外で売ってるものは食べたり飲んだりしないこと。
 10年住んでいる私ですら、今でも時々食べて腹を壊します。
 当たったときは日本の薬、正露丸なんかはあまり効かないです。
 現地の薬のほうがいいです。
 逆に、高山病のときは現地の薬を飲まないほうがいいです。
 成分が強すぎるため日本人に合わないからです」


「リマは一般的にドルが通じます。
 ですが、クスコ・マチュピチュはドルじゃなくてソルでないと
 買い物できないということもあるでしょう。
 ソルはSの字に斜めの線、ドルはSの字に縦の線と紛らわしいです。
 なのでソルで売ってるように見せかけて、
 いざ支払いとなったときにドルで求められるといったようなサギ行為が
 観光客相手になされることもあります」


「リマは首都として様々な産業が集中していますが、
 クスコは観光だけを収入としている町です。
 観光客相手に物を売るときは高くふっかけてくることもあります。
 クスコの露店で買い物をするときは、交渉して買うようにしましょう。
 まけてもらうとき、スペイン語では”ディスクエント”と言います。
 英語の”ディスカウント”のことですね。もっとは”マス”です」


「おみやげとして好まれるのはなんと言ってもアルパカですね。
 アルパカのセーターは日本の半分の値段で買えます。
 あちこちで売っていて、ホテルや空港で買えるものは本物ですが、
 街中で売っているものの中には10%しか入っていないものや
 まったく入っていないものもアルパカの名前で売られていることもあります。
 あと、シルバーや手工芸の製品も人気です」


「南米で最もおいしいのはペルーだと言われています」
(これって、どの国に行ってもその国のガイドが言うことだと思う)


「リマの町は旧市街と新市街に分かれています。
 旧市街は今バスで走っていますが、見ての通り治安がよくないです。
 週末ということもあって、この辺りの通りは
 ゴミも片付けられることのないままばら撒かれています。
 皆さんの泊まるホテルは旧市街の入口にあります。
 夜はホテルの外から絶対出ないようにしてください。早朝もよくないでしょう。
 貧しい子供たちが現われて、集団で取り囲んで強盗を働くこともあります。
 ”ピラニア”と呼ばれています。
 リマは貧富の差が大変激しいです。日雇い労働者が大勢います。
 彼らは、週末、スラム街から繁華街へと繰り出します」


「ペルーの土地の構成は
 60% ジャングル
 30% 高地
 10% 砂漠 となります。リマは砂漠を切り開いてつくった町です。


 人口の構成は
 45% 混血(スペイン・インカ系)
 40% インカ系
 10% 白人(富裕層)
  1% アジア人


 ペルーはブラジルに次いで、日本人の人口が多いです」


「”チーノ”は本来中国人のことですが、アジア人を指して使うことも多いです。
 フジモリ大統領は自ら”チーノ”と名乗って人気がありました」