ツアーでペルー その8(4月22日)

フェスティバル


5時に目を覚ます。
ひっきりなしに車の音が聞こえる。
昨日の夜からずっと鳴り止むことはなかったのだろう。
寒いと思って起き上がる。
クローゼットを開けて棚の上の方に毛布を見つけて、ベッドに運ぶ。
羽織ってもう一度眠る。


それからどれぐらい時間が経過しただろうか。
・・・全然経過してなくて6時過ぎ。
もう一度目を覚ます。今度はちゃんと起きようと思う。そんなに眠くない。
窓の外のリマ市街は濃霧に包まれている。どこもかしこも灰色。


1階に下りてレストランで朝食。ビュッフェ形式。
ハムやソーセージのバリエーションとスクランブルエッグ、果物をいくつか。
あと、牛乳。食べたのはそんなところか。
どのメニューも英語、スペイン語、日本語など各国の言葉で書かれている。
時々首をひねりたくなるものもある。
飲むヨーグルトが「食事療法用のヨーグルト」となっていた。
日本人向けに味噌汁とごはん、おかゆが用意されているが、
まだ僕としては日本食は恋しくない。


同じツアーのおばさんと少し話をする。
向こうから話しかけてきてくれた。「あなたどこから来たの?」など。


他のテーブルには他の旅行会社の日本人団体が固まっている。
どうもクラブツーリズムのようだ。


クラブツーリズムの団体とはその後コトあるごとに顔を合わせることになる。
日本に帰ってきて調べたら日程がほぼ同じ内容だった。
同じ現地旅行会社を使ってるのかな。
リマの空港に到着して次の日飛行機でクスコに行って
さらに次の日そこから列車でマチュピチュ往復、
毎回飛行機だと芸がないし次の日はバスでプーノに向かって
一泊してチチカカ湖、飛行機で戻ってきてバスに乗ってイカへ。次の日ナスカの地上絵。
目的地と移動手段を組み合わせると
どこの旅行会社もどうしても似たり寄ったりになってしまうのだろう。


食べているとホテルのおじいさんが片言の日本語で話しかけてくる。
「センセイ」「センセイ」とそれが日本を代表する敬語であるかのように。
あなたたちのグループは9時にモーニングコールということになっているが、
本当によろしいのか?と丁寧に質問がなされた。
僕を含めて何人か6時半という時間に起きて食事を取っているので
スケジュールがどうなっているのか不安に思ったのだろう。
日本語で返答すると、全然伝わらない。
ホテルやレストランでのみ通用する片言の日本語しか解さないのだろう。
英語に切り替えてお互い話始めるが、今度は僕の方が
ホテルやレストランでのみ通用する片言の英語しか話せない。
たぶん伝わっただろうな、とお互い諦めたところでおじいさんは僕のテーブルを去った。


部屋に戻って、することもなく、ヘミングウェイの短編集の続きを読む。
時間を忘れて読むふけるうちに、いつのまにか読み終える。次は何を読むべきか?
エルモア・レナードの「ラム・パンチ」にする。
奇しくもどちらも訳者は高見浩だったりする。
高校生の頃だろうか、この人の訳した
ピート・ハミルの「ニューヨーク・スケッチブック」という本があった。
当時あちこちの書評で好意的に取り上げられていたと思う。
それで僕も興味を持って手に取った。今でもよく覚えている。


8時になるのを待って、地下のアーケードの土産物屋へ。
絵葉書を4枚、イラストによるペルーの地図、「ペルー発見」という日本語の書籍、
この3つとついでに日本までの切手を買って36ドル。切手は2ドル。
買おうとしたら財布の中のお金が足りなくて、いったん部屋に戻る。
もう一度下りて支払いをする。
「ペルー発見」というのは、海外旅行好きの人ならばどこかで見かけたことのある、
たぶんどこの国に行っても見つかる、
カラーの写真入りのその国のガイドブックをいろんな国の言葉で訳したもの。
いつもはこういうの買わないんだけど、なぜか今回欲しくなった。
カラー写真が多いからだと思う。


部屋に戻って母に絵葉書を書く。毎回恒例の行事。
母はお土産は要らないから、絵葉書を送ってほしいと言う。
切手を貼って1階のフロントまで持っていく。
どこにポストがあるか聞こうとしたらすぐ目の前に専用の箱があった。


ようやく9時。さすがに本ばかり読んでるのもなんだな、と思い始める。
「くれぐれも外に出ないように」と釘を刺されているが、
もぞもぞと一人旅好きの血が騒ぐ。外に出てブラブラ歩きたくなる。
地球の歩き方の地図を見たら泊まってるシェラトンのすぐ隣って
イタリアン・アート美術館となっている。いいね。
でも説明を読んだら日曜休館。ちょうど今日。がっくし。
さらにその隣がリマ公園で、中にリマ国立美術館ってのがある。
リマ国立美術館の開館は午前10時で、
ツアーの市内観光の集合が10時半だとするとほとんど何も見ることはできない。
それでもまあ行ってみようかとスニーカーを履く。


(ホテルの前に建つものすごく威厳ある建物が昨晩からとても気になっていて、
 このとき合わせて地球の歩き方の地図を参照したら、最高裁判所だということがわかった)


ホテルの外に出て、テクテクと歩き出す。
公園まではわずか1ブロック。これならば危険もあるまい。
信号が赤になったり青になって、立ち止まったり、周りの人と一緒に歩き出したり。
公園は黒い柵が高く張り巡らされていて、入口が分からない。
ところどころ真っ黒なジープが停まっていて、
その周りを警察官たちが何も言わず暇そうに立っていた。


南北に端から端まで歩いてみても入口が見つからず。
なのに中を一般市民が歩いているのが見える。
どこかにあるに違いない。
時計を見てもまだ15分。こりゃかなり時間がある。
引き返して東西の通りを歩いてみることにする。
白いシャツを着て正装姿のブラスバンドのメンバーが集まって
ばらばらに音を出して楽器の練習をしている。
バスを待つ人々。小型のバスが次々に通りがかる。
車掌に当たる立場の人なのだろうか、男女様々だったが、
ドアから半分身を乗り出して大声で行き先か何かを告げている。


やがて入口が見つかる。
誰でも出入り自由らしい。入場無料。僕も中に入っていく。
1人警官か将校らしき雰囲気の人物が立っていて通りがかる市民たちを睨んでいる。
入ってすぐのところにベンチが並んでいて、そのそれぞれに恋人たち。
朝っぱらからヒシと抱き合って愛の言葉を囁いている。
公園の中へ。中心部の噴水目指して歩く。
多くの市民とすれ違う。友人同士のグループ、恋人たち、子供連れの家族。
危険なところは何もない。あからさまな興味と共にこちらを眺めることもない。
のどかな時間が流れている。
噴水の写真を撮ると引き返して公園の外に出た。


公園内のリマ国立美術館は単なる美術館ではなくて
子供向けの絵画教室などアカデミックな催しが多いと
後ほどガイドのUさんの説明にあった。


ホテルに戻ろうとして道路を渡ると、目の前に停まったバスから
揃いの赤や青のアンデスの民族衣装をまとった女性たちが下りてきた。
ホテルと最高裁判所の間の公園には様々な衣装に身を包んだグループが既に集まっている。
アンデスっぽいのもあれば、アフリカっぽいのや、チロルっぽいのもあり。
世界各地のいろんな民族のごった煮のよう。
もしかしてこれ全部ペルーの北から南まで集まった姿だったりするのかもしれない。
これからパレードが始まって、
サン・マルティン広場を抜けて旧市街の中心部であるアルマス広場に結集する。
肩慣らしなのかデモンストレーションなのか、
それぞれのグループがそれぞれの音楽を演奏しながら、輪になって踊りを披露している。
軍隊風の白い制服に身を包んだブラスバンドが太鼓を叩き、チューバやホルンを吹き鳴らす。
ミス・リマ的立場と思われる女性がミニスカート姿でニコニコ笑っている。
広告なのか祭りでアピールしたい物事なのかわからないが、
きれいな横断幕を広げて四方を押さえる人々がいる。
赤に緑に白に黄色。派手な色のリラグロッケンみたいなのを掲げているグループ。
行列の先頭にいたモンゴル風グループの周辺が盛り上がっているので近寄ってみると
肩の上に人が乗ってさらにその肩に人が乗って、
最上段に立った子供が最後に空中を一回転したところだった。
これら各グループの間を歩き回って、観光客たちが写真を撮る。
人によっては彼ら/彼女たちに声をかけ、集合写真を撮ったり、
輪の中に入って一緒に並んで記念写真を撮ってもらったりしている。
端のほうで賑やかな音楽が聞こえてそちらまで歩いていく。
二重三重に人々が織り成す輪の中で、年老いた男女が踊っていた。
男が求愛して、女がうわべだけの拒絶を行う。ストーリーが素人の僕にも分かる。
踊り終わって2人は盛大な拍手を受ける。