ツアーでペルー その9(4月22日)

サン・マルティン広場


ホテルに戻ると、バスが既に到着していて「準備のできてる方から乗ってください」と。
50人ぐらい乗れそうな大型のバス。僕は2人掛けの席に1人で座る。
カップル、夫婦、友人同士2人で来てる人たちは隣り合って座る。
観光が始まってガイドのUさんがあれこれマイクで語るのを聞いて何か思うところがあると、
2人で来てる人たちは2人の世界に入って感想を言い合う。
窓の外を指差して覗き込んだり。
1人で座ってるとそれがない。ガイドを聞いて、1人であれこれ考えるだけ。


バスはすこしばかり走ってまずはサン・マルティン広場へ。
馬に乗ったサン・マルティン将軍の像が真ん中に建っている。
メキシコもそうだったけど、
ペルーもまたちょっとした広場や公園には必ず何かを記念する彫像が置かれている。
中南米というかスペイン語圏はたいがいそうなのではないだろうか。
広場の周囲にジャカランダの木が植えられている。
南アフリカで有名であるが、原産はペルーとなる。
ここは車窓観光。


ガイドのUさん曰く。
「この一帯は以前もっと汚れていたのですが、
 5・6年前より観光に力を入れるようになったため、とてもきれいになりました」


「リマのこの地域は世界遺産に登録された街並みであるがゆえに
 街の景観を損ねることは許されず、
 企業が看板を出していてもロゴは黒で統一されています」
広場の周りにはケンタッキー・フライドチキンやピザ・ハット、
BCP」というペルーでよく見かける銀行の看板などが、よーく見れば見つかる。
でもそれが全部真っ黒。
ケンタッキーの「KFC」の看板が墨で塗りつぶされたかのようになっている。
リマの観光名物の1つ。
ただし「KFC」については昨年、黒地に金で文字を描いてもよいと昇格扱いされた。
だからと言って金ピカになったわけではなく、あくまで光沢のない地味な金色。


次にバスは旧市街中心部のマヨール広場(アルマス広場)へ。
インカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロが1535年、
首都を築いた際に中心地として作られた広場。
すぐ目の前にカテドラル(大聖堂)が建っている。
同じく1535年、ピサロ自ら敷石を積み上げたとされる。
実は建てた当時は建物正面だけしかない張りぼてで、後々ちゃんと造られた。
3回の大地震で崩れ今は残念ながら下部しか残っていない。
今あるのは全て修復によるもの。
ピサロの遺体が1970年ここに見つかる。頭と胴体が切り離されて埋められていた。
7年かけて綿密に調査を行い、本人と断定される。
カテドラルのバルコニーはペルー1の美しさと呼ばれる。
クリーム色のカテドラルに対して、バルコニーは黒。
壮麗な面持ち。


カテドラルの反時計回り90度のところにあるのが、大統領府。
フジモリ大統領もかつてここに住んでいた。
銀の間、ピサロの間などがある。


広場の中心にはシンボルとなる噴水。
1560年に作られたオリジナルのまま残っている。


写真を撮るためにしばし自由時間となる。
今日の祭りではパレードの終点がこことなるため、
大統領府の高い柵に面して記念式典用の謁見席が設営されている。
通りを隔てて反対側にはステージ。
係員の人たちが祭りのパンフレットを配っている。
よく晴れて日差しが強く、カテドラル前の階段に一列になって座っている市民たちは
祭りが始まるのを待っているのだろう、
みなこのパンフレットを頭の上に掲げて日陰を作っている。
パンフレットは表側がペルー各地の民族のお祭りを写した写真のコラージュで
裏側は恐らく各地のお祭りの日程をリストにしたもの。
全てスペイン語で書かれているため、なんとなくしかわからないんだけど、
「PASACALLE NACIONAL CELEBRA PERU 22 DE ABRIL 2007」と書いてあるのが名前で、
趣旨としては国のお祭りのためのお祭りってとこか。


普通の警察とは別に、ペルーには観光ポリスという役割の人たちがいる。
観光ポリスであることを示す文字が大きく書かれたライフジャケットを着て、
アルマス広場といった観光名所に配置されて警備に当たる。
ちょっとした観光案内もしてくれるようだ。
観光に特化していて、普通の警察官とは完全に棲み分けがなされている。
住宅地で泥棒!と叫ばれても観光ポリスは我関せずだろうし、
修道院はどこですかと警察官に聞いても答えてはくれない。


カテドラルの中に入る。信者でなくても、観光客であっても入れる。
ちょうど日曜のミサの時間。
聖歌が歌われ、歌い終わると説教が始まった。


広場から5分ほど歩いて鉱山鉄道の駅に到着する。
4800mという世界で最も高いところを走る鉄道のうちの1つ。
ただし、観光用ではないため走るのは月に1度。


この辺りはリマ市外の中心部なのだろう。多くの店が軒を連ねる。
コンクリートの灰色、赤レンガ色、黄色の街並み。


さらに5分歩く。
カテドラルと並んで有名なサン・フランシスコ修道院へ。
南米で最も美しいとされる木彫りのファサード
15のチャペルやカタコンベ(地下の大きな墓地)で有名。
疫病による遺体を地面に埋めて2ヶ月経過し、骨だけの状態となったものを安置する。
修道院と教会とが並んでいて、どっちがどっちだったのかよく覚えていないんだけど、
教会の方なのかな、現在修復中で利用されていない。
中をちらっと見たら廃墟のようだった。
修復のための資金が思うように集まらないと聞いたように思う。
修道院の方は健在でカテドラル同様、ミサが行われていた。
壁のあちこちにキリストや聖母マリアの像が奉られている。
時間がなくてカタコンベの中に入ることはできず。
無数のハトが頭上を飛んでいて、
何を合図とするのか突然飛び立ったり屋根に止まったり。
小さな広場の片隅では露店が出ていて、
色とりどりのロウソクやキリストの像が売られていた。
靴磨きが客を待っている。


待っていたバスに乗り込む。
道端に座り込んでいた物売りや子供たちがバスの存在に気付いて
手にしていたものを売りつけようとする。
ふと見かけた老婆は立ち上がるだけの力がなく、
その手をただただ弱々しく上に差し上げるだけ。
手の平の上にはトイレットペーパー。
盲目のようで、よく見るとそのまぶたの奥がペタリとへこんでいる。
両目とも眼球を失っていた。