ツアーでペルー その15(4月23日)

リマの空港の中


目が覚める。
ものすごく眠ったような気がしたのに、時計を見たら23時半。驚く。
22時半に寝て、1時間しか経っていない。時差ぼけなのか、なんなのか。
また寝て起きたのが3時半。その次が4時45分。布団にもぐって目を閉じる。
5時15分に起きて、諦める。
外は濃霧。寒そうだ。


1階に下りて食事。
時間が早すぎたのかレストランには他の旅行会社の日本人グループばかり。
ポテト、ハム、ソーセージ、ヨーグルト、コーヒー2杯。
炭水化物を食べないダイエットのにわか実践として
ご飯もおかゆもパンも食べない。


部屋に戻ってスーツケースの整理。終わって部屋の外に出す。
アメリカに向けて出発するわけじゃないから、鍵をかけてバンドもしめる。
フロントでチェックアウト。冷蔵庫の中のものを使ったか聞かれてノーと答える。


ツアーのメンバーがラウンジに集まり始める。
椅子に座って待つ。「夜眠れますか?」「起きちゃいますよね」と話をする。
別の人と話す。「チェックアウトしたらお金取られましたか?」
いえ、と僕は答える。
「日本に電話したら35ドルもタックスを取られちゃいましたよ。高すぎませんか?」
そうだ、添乗員さんに相談しようと言い残して彼は消える。


その日の分のミネラルウォーターをもらってバスの中へ。
一昨日の夜もらった分が半分も飲んでなくて、
昨日もらった分の水は全然手付かず。飲んだらトイレに行きそうだと水を控えてる。
なのでもらってももらっても余る一方。
でも捨てるのもなんだなあと昨日の分はスーツケースの中に詰めてきた。


バスは空港へと向かう。
刑務所の前を通りかかる。
定員オーバーとなって久しく、簡単な刑ならば入れてくれないし
入れられてもすぐ出されてしまう。


野良犬に注意してください!とガイドのUさんが言う。
一度咬まれたら出国までに5回、狂犬病の注射を打たなくてはならない。


旧市街の入口に差し掛かる。
円を中心として放射状に通りが広がり、建物の色はどれも青。
この辺りは楽器の店が多く集まっている。


タマネギを山ほど積んだトラックが横を通り過ぎる。
空港近くのなんらかの施設の前に、ヘリコプターがオブジェとして飾られている。


その他、空港までの間にガイドのUさんがペルーについて語ったこと。
最後の方は思いつくままに、という感じだった。


・これから向かうクスコについて。
 ケチュア語を話す人が大半。ケチュア語は昔から文字を持たない。
(文字が読めない・書けない人が国内に130万人いるとされる。教育が行き届いていない)


・クスコの人は温かいので、日本語でもいいから話しかけてあげると喜ばれる。


・会社から制服が支給されている場合、会社に着いてから着替えるのではなく、
 家から制服を着て会社に出かけるという人が多い。


・アルパカの最高級品種は「ピクーニャ」と呼ばれる。
 生まれたときの最初の毛を使って編んだセーターは
 アレルギーのある人でも着ることができて、チクチクしない。


アンデスといえばコンドルというイメージがあるが、クスコにいるわけではない。
 いるとしたらペルー第2の都市アレキパの山奥。それでもめったに見られない。
 イカの飛行場の動物園に「ぺぺ」という名のコンドルがいる。


・日本語に聞こえるスペイン語として有名なもの。
 −ニンニク(アホの意味)
 −ウシ(バカの意味)


空港到着。一昨日リマに到着した時の空港と一緒。
「Aeropuerto Internacional Jorge Chavez」
そういえば、今年に入ってから買った CD の中に「Chavez」ってバンドのがあったな。
Chavez って人の名前だったのか。
調べてみる。ホルヘ・チャヴェスはペルー人の両親を持つ20世紀初めの飛行士。
1910年にスイスのブリーグからアルプスを越えて
イタリア、ミラノへの冒険飛行を行うが、墜落してその4日後に死亡。
最期の言葉は「Higher. Always higher」(より高く。常により高く)
リンドバーグがニューヨーク・パリ間を飛んだのが1927年。
当時どれだけの冒険だったことか。
首都の国際空港に付けられるにふさわしい名前だと思う。


ペルーの空港は人の名前が付けられている。
フリアカの空港は「Aeropuerto Internacional Manco Kapac」
初代の、伝説上のインカ皇帝ですね。
クスコの空港は「Aeropuerto Internacional Alejandro Velasco Astete」
Alejandro Velasco Astete は1925年に世界で初めて、アンデスを飛行機で飛んでいる。
空港に限らず、南米ならばいろんな施設に対して人の名前が付けられているはず。


クスコ行きの国内線はいくつかの航空会社から30分に1本の割合で出ている。
僕らは今回「Star Peru」という会社を利用した。


添乗員のKさんが人数分の空港使用料など払っている間、待ち時間ができて店を見て回る。
コーヒー豆のブランド「ブリッツ」(britt)のお土産屋がきれいでしゃれたので入ってみる。
日本でも買えるのかな。
http://www.cafebritt.com/index.cfm
コーヒー豆はインスタントじゃなかったので、ちょっとめんどうだろうとパス。
チョコレートをたくさん買い込む。4コ買ったら1コただ。
CDも売ってて、2枚買ったら1枚ただ。
フォークロアのコンピと「Afro Peruvian Music Classic」と書いてある2枚組コンピと
なんかよくわからないけど「Afro Novalima」というファンキーなジャケットのやつ。
あと、CafeBrittのショッピングバッグがかっこよかったのでそれも買う。
合計73.9ドル。結構な出費となったけど、まあいいか。
ショッピングバッグは「これ絶対東京でも使える」と思って購入。
ことあるごとにツアーの人から「かっこいい」「かわいい」と言われ続けた自慢の逸品。
チョコレートもおいしそう。


リマのガイドのUさんとはここでお別れ。
クスコではまた別のガイドが付くことになる。


搭乗ゲートに行ってみたら搭乗開始は20分遅れ。
さらに他の店も覗いてみる。
ペルーのものとは思えないけど、南米っぽいタバコを見つけて買う。
「Hamilton」というやつ。1カートン11ドルで2つ。
ラッキーストライクは1カートン15ドルだったかな。
つまり、安くてたぶんおいしくない。


クスコまでの飛行機の座席はシャッフルされることになる。
2人で来てる人たちの席をなるべく隣接させようということで。
添乗員のKさんが搭乗券の右側の方にシャッフル後の席番号を記入。
僕が受け取った搭乗券も席が変わっていた。
いざ搭乗となったときに予想外の事態。
この右側の方が切り取られて回収されてしまう。
大混乱発生。席番号を覚えている人、覚えていない人。
まあそれもなんとかなって飛行機は無事離陸。
横6席のうち、僕は左側の通路側となる。
隣には白人旅行者の老夫婦。僕が席に座るとき、たがいにニコッと笑い合う。


リマからクスコまでは1時間ちょっと。
羽田−青森間と同じぐらいか。
そう思うと自分の中で大体の距離感がわかる。


機内食が出てくる。チキンサンドとバームクーヘンみたいな見た目のケーキ。
どちらもパサパサしている。
飲み物はと聞かれて、インカ・コーラ。
遂にこの国民的清涼飲料水にチャレンジ。
甘い。でも、それほどでもない。
子供用のシロップを薄くして炭酸を入れたような感じ。


「ラム・パンチ」を読んで過ごす。