ツアーでペルー その19(4月23日)

サクサイワマン遺跡


バスに乗ってクスコの郊外へ。
この辺りからきれいな街並みではなくなって
普通の人々・貧しき人々の生活も垣間見えるようになる。
斜面にボロ屋が建っている。茶色い屋根、茶色い壁。
テレビのアンテナ。窓辺に色褪せたぬいぐるみ。
崩れて、打ち捨てられた空家。
開け放たれた扉。その向こうには何もない。屋根もない。


山道をしばらく走ってサクサイワマン遺跡へ。インカ帝国の要塞の跡。
クスコはピューマの形を意識した都市であって、ここが頭の位置に当たる。
第9代のパチャクテ皇帝が着手、1日に5万人、50年かけて完成に至る。
広場のような草原があって、その左右に石造りの要塞の跡が残る。
ここで毎年6月24日に太陽の祭り「インティ・ライミ」が今も行われる。
リオのカーニバルと並んで、南米三大祭の一つとされる。
(Mさん曰く、他の2つと比べるとかなり地味だそうだが・・・)
来年のインカ帝国の発展・豊作を祈願して執り行われるもの。
本来ならば生きているリャマをさばいて生贄として捧げる。
クスコとはケチュア語で「へそ」を意味し、4つの国の集合体
(チンチャ・スウユ、コヤ・スウユ、アンティ・スウユ、クンティ・スウユ)
であるインカ帝国の中心地だった。
そしてその更なる中心地がここ、サクサイワマン遺跡というわけだ。


壁の側に寄ってみる。
人の背丈ほどのかなり大きな石が積み重ねられている。
クスコの街並みで見かけるものとスケールが違う。
この近くにあった岩を切り出したのではなく、
遠く何10キロもの向こうから何万人もかけて運んできた。
「十一面の石」という有名なものは総計128トン、
地面から突き出しているのはごく一部で、地中にその大部分が埋まっている。
これらの巨石はエネルギーを持つとされ、触れるとそのエネルギーが得られるという。


城壁を設計したアカワナの名前を付けられた、石造りの門をくぐる。


近くの山は高度3400m以上だというのにもかかわらず、緑の木々で覆われている。
その多くはユーカリの木で、家の柱や薪として利用される。
1本切るごとに3本から5本植えるという決まりをみな守っていて、
今ではかなりの広さの林となった。
植林は近年になって始まり、20年前には全く植えられてなかった。
その後あちこちでユーカリの木が植えられているのを見た。
ペルー全土で奨励されているのかもしれない。


この要塞は年に2回、インティ・ライミの祭りの日と大晦日にライトアップされる。
見ると地面にガラス張りの箱が埋められている。
しかし年に2回しか使われないということで手入れは全然なされてなくて
中は草ぼうぼうとなっている。僕はてっきり何かを栽培している箱かと思った。


夕暮れ時になって、どんどん寒くなってくる。
Tシャツ1枚ではどうにもならなくなってきて、持ってきた長袖のシャツを着る。


要塞から下に下りて、駐車場へ。
リャマを連れて盛装したアンデスの人たちが写真に撮られるのを待っている。
ツアーの人たちが写真に撮る。僕はその様子を写真に撮る。


バスに戻って次はケンコーの遺跡。ピューマの形をしている、とされる。よくわからず。
遺跡まで下りていくことはなく、小高い丘の上から眺める。
地面にたくさん実のようなものが落ちていて、
誰かがこれは何かと尋ねるとMさんからユーカリの実だと答えが帰ってくる。


少女とそのお姉さんがセーターを売りに来る。10ドル。
アルパカのセーターってことなんだろうけど。
熟年夫婦の旦那が購入。少女にとても喜ばれる。
この姉妹の末っ子はまだ小さくて物売りを手伝うことなく、
ユーカリの木の下で遊んでいた。その写真を撮る。
まだ小さいので写真代を求められることはない。


ガイドのMさんがイチイクサと呼んでいた、土色をした固くて細い草が生えている。
インカ時代に屋根を葺く材料として利用された。


バスが走り出す。
ところどころポツリポツリと建っている、農家と思われる粗末な家の屋根に
竿が立てられ、赤いビニール袋がはためいている。
紫トウモロコシで作る酒、チチャがありますよ、という目印。
また、屋根の上に十字架を据えつけた家も目につく。魔よけの目的。


山道を行く。エニシダや日本から送られた松の木が生えている。
野生のリャマを見かける。
その先で牧場なのだろうか、鞍をつけた馬が群れていた。


3番目はプカ・プカラの遺跡。
(メモには残っているが記憶なし。誰かが土笛を買ったとある)


4番目にタンボ・マチャイの遺跡。インカ時代の沐浴場とされる。
入口から泉の湧き出るところまで10分ほど歩く。
ここは標高3750mでついに富士山山頂並み。
入口にてふかしたとうもろこしを売っているアンデスの女性がいた。
トウモロコシと言っても日本の黄色くて粒が小さいのとは違っていて
ここペルーのは白くて粒が大きい。
ちょっとぐらいなら食べてみたかったけど、
これ1本丸ごとはきついなあとやめておく。


ここから完全に日が落ちてとてつもなく寒くなる。
歯がかじかむぐらい。背中を丸めながら歩く。
アンデスの人たちが道端に商品を並べて道行く人に声をかけている。
セーターを売っているのを見て、10ドルかあ買おうかなあと迷う。
しかし、今ここでしか着ないだろうし、
買ったら負けだと心を鬼にしてノーと言う。自分との戦いとなる。


ゆるい上り坂が続く。
野良犬なのか、小さな犬を何度か見かけた。


泉に到着。
湧いてる水はきれいでおいしそうなんだけど、飲んだら腹壊すだろうな・・・
ペルーのおいしいビール「クスケーニャ」に使われているそうで、
だったらやはりおいしいはずなんだけど。
ここの泉は不思議なもので雨季も乾期も水量は一緒。
しかも水源地がどこなのか、どれだけ研究してもいまだ不明のまま。
ここだろうか?という箇所いくつかで試験的に色素を流してみるも当たらず。


ここタンボ・マチャイの遺跡はインカ道が通っている。
全長3万キロの山道。
いい道を作ると敵の襲撃にも利用されると考えたことからとにかく険しい。
ここからマチュピチュまでは100km近く、歩いていくならば10日かかる。
チャスキと呼ばれる飛脚はキープを抱え、2.7kmごとにインカ道を走ったという。


「バスに戻ります」となった途端僕は道を駆け出して、暖房の入ったバスを目指す。