「スパイダーマン3」と「バベル」

(ペルー旅行メモから1日離れて。
 以下、最初は mixi に書いたことを加筆修正)


昨日「スパイダーマン3」と「バベル」を見てきた。
当初は会社の映画部の鑑賞会、のはずが人が集まらず結局一人で見に行く。
六本木の TOHO シネマズ。
TOHO シネマズって最初 virgin TOHO シネマズって名前だったように思うが、
いつのまに virgin が抜けたんだろう?昨日初めて気付いた。
そもそもの初めとして、virgin シネマズだったのが東宝に買収されたのか。
学生時代に新宿や池袋の virgin をよく利用していた僕としてはなんだかとても寂しい。

    • -

スパイダーマン3」はシリーズ3作目として手堅い出来。
それ以上でもそれ以下でもない。
普通に面白い。娯楽作品として申し分ない。


1つ言うならば、キルスティン・ダンスト
マリー・アントワネット」よりもスパイダーマンのシリーズの方がいい。

    • -

「バベル」はあちこちで酷評されてるし、
僕の周りで見た人みな首を傾げていたけど、
僕としては面白かった。とても面白かった。
夢中になって見た。時間を忘れた。


目新しい何かがあるわけではない。


「この世界はどういう場所なのか?」
「人が生きるというのはどういうことなのか?」
「人は分かり合えるものなのだろうか?」
テーマってこういうことなんだろうけど、
「バベル」は薄っぺらくて
本質まで全然たどりつけてないように思う。
20世紀半ばの名だたる巨匠たちの作品のいくつかは
「バベル」よりももっと単純で素朴だったのに、あっさりと本質をついていた。
フィルムにそれがはっきりと焼きついている。
(例えば僕は今、フェリーニの「道」を思い浮かべている)


「薄っぺらい」と感じるのはなぜか?
例えばそれは出てくる国:日本、メキシコ、モロッコ、そしてアメリ
の描き方が紋切り型だってことが1つあると思う。
(たまたまどれも僕、訪れたことがあるだけになおさら)
日本は高層ビルに渋谷の若者たち。
メキシコは不法移民と派手な結婚パーティー
ロッコは日干し煉瓦の家にワラワラと集まる貧しき人々。
アメリカはテロを警戒、メキシコを差別。
わかりやすいイメージ通り。
見てて、その国の「匂い」を感じない。
そのときカメラが切り取った(というか監督が意図した)絵でしかない。
エキゾチックな背景を求めたかっただけ?
日本人ならば「えー?日本ってこんなふうに思われてるの?」
と違和感を感じるのではないか・・・


どこに住んでいて、どんな建物が建っていて、肌の色がどんなで、
どんなものを食べていて、・・・ってことに関係なく、
どこであろうと人間というものはこういうものであって。
というのがもっと表面的なレベルでどこにでもあるのだと僕は思う。
そういうところを映画ではばっさり切り捨てている。
この世界には差異しかないことを前提条件として持ってくるために。


などなど、あるんだけどね。
でも僕はこの作品がとても好き。
いいじゃないか。紋切り型で。
本質をつけなかったからこそ、そのもどかしさゆえに
「バベル」後の世界なんじゃないの?


意外にヒットして多くの人が見に行ったようだけど、
そういう人たちってこの手の単館上映系映画に慣れてないから
「で、結局何が言いたいの?」ってことになるのだと思う。それゆえに不評。
僕はこの手のばかり喜んで見てるから、すっと入り込めた。
そういうのって、あると思う。

    • -

そんなわけで、「スパイダーマン3」と「バベル」
どっちかを人に勧めるならば
僕の場合「スパイダーマン3」ですね。

    • -

追記。ラストはブラピのあの場面の方がいいと思う。
あそこで終わってくれたら
僕としては90点以上の高得点をつけたのに。
あのラストシーンは、安易じゃないか・・・?
「人は分かり合えない。しかし、心を開いたとき、分かり合えるかもしれない」
ってのがこの映画の言いたいことなんだろうけど、
だとしたらあのラストに至る過程の描き方は力不足ではないか?


役者のアンサンブルはなかなかよかった。
特にモロッコ。素人ばかりみたいなんだけど。
観光バスを銃で撃ってしまったあの兄弟とその父親。
ブラピと行動を共にするガイド。
メキシコ人のおばさんもよかった。アドリアナ・バラッザ。
この人と菊地凛子がアカデミー助演女優賞をダブル・ノミネートか。
甥役の男性がどっかで見たことあるなあと思っていたら
モーターサイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナルなんですね。


エンドクレジット見てたら渋谷のDJ役に「shinichi osawa」の名前が。
Mondo Grosso大沢伸一


字幕は日本語。日本人が話していても日本語の字幕あり。
恐らく、英語圏の公開でもブラピのセリフには字幕があるんじゃないか?
これが要するに「バベル」の塔崩壊後の言葉がばらばらになった世界を鑑みて
全てのセリフに字幕をつけているのならば、一本筋が通っていると思う。