「蹴りたい背中」「リトル・バイ・リトル」

この3連休で青森帰るに当たって、最近の日本文学はどうなっているのだろう?
気になる作家の作品をまとめて読んでみよう、と思った。
選んだのはこの4冊。基本つまみ食いなので、薄さを基準とした。
綿矢りさ蹴りたい背中
島本理生「リトル・バイ・リトル」
舞城王太郎「みんな元気。」
中原昌也「あらゆる場所に花束が・・・」


結局のところ知りたかったのは
僕が書いてる小説はどの程度のものなのか?ということ。
足元にも及ばないのか?
それとも案外いけてるのか?
まあ結果としてはその中間のどこかってことで。
少なくとも、「論外」ではないなという自信はついた。


一番面白かったのは「蹴りたい背中」となる。
文体の瑞々しさ、そこに尽きる。
これは真似できないな、と感じたのは「蹴りたい背中」だけ。
他の3作は似て非なるものが出てくるとしても、近付いていくことは可能だと思った。
実として、「リトル・バイ・リトル」は書けないにしても
「みんな元気。」と「あらゆる場所に花束が・・・」は今の僕にも書けんじゃね?と。
傲慢不遜ですかね?


他の作品をすぐにも読んでみたいと思ったのは島本理生だけ。
この後の作品はいったいどうなったのだろう?
「生まれる森」や「ナラタージュ」など。
文学的な完成度・衝撃とは別にそのリズムが自分に合っていて
末永く読んでいけそうなのは僕の場合この人の文章ってことになるだろう。
逆に綿矢りさは「蹴りたい背中」だけ読めば後はいいかな、と思ってしまうところがある。
「夢を与える」を読みたいかっていうと、よっぽど暇なときに手元にあったらってとこかな。
書店でわざわざ探す気になれない。
なぜなのか?「蹴りたい背中」は作品世界としての(自己)完結度が高すぎて、隙がない。
他の作品を読むことでトータルな味わいとしての綿矢りさを知りたいという気にならない。
島本理生にはそれがある。
例えて言うならば「蹴りたい背中」は「天国への階段」の入っている Led Zeppelin の4枚目で、
「リトル・バイ・リトル」は The Who の「Sell Out」


舞城王太郎は最初「阿修羅ガール」を読んでみようとした。
本屋で手にとってパラパラめくったときにクライマックスの箇所なのだろう、
活字が無茶苦茶大きくて、叫んでる。なんだこりゃと思った。
もしこれが斬新だとか、若者文化を代表するなんとかみたいな扱われ方をされてるとしたら
よっぽど腐ってるんだな、と思った。日本文学界とかJ文学ってやつは。
めまいがした。もっと薄い「みんな元気。」を読むことにした。
面白言っちゃあ面白いが、
これでいいのなら純文学を書こうとしているいろんなひとの努力が無駄になるよ。
「面白くないなら、無駄じゃね?」っていうのは1つの答えだし正しいと思うが、
これはちょっと行き過ぎではないか・・・
ドナルド・バーセルミの文体の実験の方がラディカルで含蓄があったのではないか。
でもこの身軽さはいいよね。
書きたいことを書きたいように書く。そこに全力投球する。
この人の何がいいかって消える魔球みたいなのを「全力投球」してて
なぜかバッターを打ち取れるようなところじゃないか。
だけど試合がずっとそればかりだと野球って何?って話をしたくなるっていう。
・・・なんのかんの言いつつも、この人のを読むことで僕は最も考えた。
語られる「世界」を形作るルールとそれを語る言葉のルールが首尾一貫してれば
あとはアイデアとエネルギーだけなんだな、という教訓を得る。


最後、中原昌也
僕は学生時代、暴力温泉芸者のアルバムを何枚か買って聞いた。
そのとき抱いた印象と全く同じものが、初めて読む「あらゆる場所に花束が・・・」にもあった。
手先の器用さとは別のところで不器用というか、
「コミュニケーション?どうでもいいよ」とうそぶいてるような。
悪趣味ではあるけど下品ではないが故の趣味のよさ、それをスノッブと感じるような。
うーんよくわからんが、「センスいい」「何かがある」と受け止めるべきなのだろうと思ってしまう。
文章を読んではっきり分かったけど、やはりこの人は、無茶苦茶センスのいい音痴であって、
それをアートの領域までもっていける稀有な人なのだ。業が深いとしか言いようがない。
面白いかどうかで言ったら、ちっとも面白くなかった。
目新しい何かってのも全くなかった。
町田康の「くっすん大黒」を読んだときのような衝撃はどこにもない。
すれてるだけ。あるいは、すねてるだけ。
世の中にはもっともっと支離滅裂なことやもっと暴力的なことを書いてる人は大勢いると思う。
世に出ることができなくてくすぶってるような連中で
もっと直観的に面白いことを書いてる人は星の数ほどいるのだと思う。
そういう名も無き人たちに思いを馳せながら読んだ。
早い話、これを読んだところで人を殺したくはならないし、ムカムカしても一瞬だけである。
だけど人の心の奥底で眠っている憎悪を掻き立てて
いてもたってもいられなくなるような文学はこの世の中には絶対あるのだし、
読むのならそういうのに出会いたい。
こういう言葉遊びじゃなく。
「センスいい」「何かがある」以上のものがどうしても出てこない。


・・・読み返してみて、ひどく偉そうだ。
書き直してもうちょっとやわらかくしようかと思ったけど、このままにしておくことにします。