0と1とその集合体の向かう果て

最近思うに。

 
WEB2.0」もゆっくりと時代遅れなキーワードになりつつあり、
結局のところこれってなんだったのかと考えると
「インターネットのためのインターネット」だったのではないか?


「WEB進化論」なんかを読んで「これはすごい考え方だ!」と興奮したのも束の間、
世の中でのバブリーなもてはやされ方に
得体の知れない居心地の悪さをずーっと感じてばかりだった。


20世紀初頭における自動車の普及と一緒で、
インターネットもやがて単なる生活インフラの1つに過ぎなくなる。
インターネットの中で繰り広げられる世界に
人の一生、人生というものが取り込まれ尽くすことは決してないだろう。
(今、Second Lifeとその発展系のようなものを頭に思い浮かべている)


どこまで行っても人という生き物はアナログなものだと思う。
生きるとか死ぬとかって、単なる ON/OFF ではないのだから
0や1やその集合体で表せるわけがない。
表せたとしても人という生き物にはその良し悪しは決して理解できないはずだ。
そこに感覚的な印象以上のものを抱けない。


これからのインターネットビジネスを考えるとき、
僕なんかは「いかにしてアナログな世界観と融和するか?」
というのが1つのキーになるのではないかと思う。
全てがデジタルで完結する世界なんて、やっぱSFの中にしかありえないよ。


インターネットの向こう側とこちら側って境界線もなくなって、
どちらかというと結局は全てこちら側。
自動車の発明と普及が我々の生活を一新したとしても
そこに向こう側とこちら側があるわけではなくて、
乗ったときに見える風景が、それがもたらされるスピードが、
歩いているときと違うというに過ぎない。
インターネットもやがてそうなると思う。


そこではインターネットというものも目に見えなくなる、
というか僕らの生活の中に吸収されつくして、
僕自身はテレビと融合すると思ってる。
テレビというか、汎用的なモニター。
そこに映し出されるのは従来のテレビ局が制作して配信する映像コンテンツかもしれないし、
従来のニュースサイトが提供する映像付きの文字情報かもしれないし。
そういうのが携帯から渋谷の SUPER LISA から
飛行機乗ったときの座席のモニターまで全てひっくるめて融合されるのだろう。
それが今の携帯ぐらいの大きさのキーボードで
検索とこちら側からの情報発信できるようになる。
いや、それは声だとか音声入力かもしれないし、
皮膚を伝わる細かな電流から身振りを読み取るってものかもしれない。


ってありきたりな未来予想図だな・・・


もう1回書くけど、そこまで進んだとしてもそれはやはりただのインフラ。
生きていくというとことんアナログな事象をいかにして便利にするか、楽しくするか。
結局は、そこ。どこまで行っても、そこに戻ってくる。


「楽しい」ということがいったいどういうものなのか?
人間の感情を分析し尽くして、それをプログラミングで再現することは可能なのか?
究極的に細分化を突き詰めていってなんらか割り出した近似値の組み合わせなのか、
それとももっと別な何か、発想の転換や飛躍を要するものなのか。
デジタルはどこまでアナログに近づけるのか、取って代わることは可能なのか?
インターネットの世界での本当の意味での
イノベーションだとブレイクスルーってのはそこのところを解決、
というか方向性を見出さないことにはありえないのではないかと僕は考える。
でなきゃ、全て小手先。
そこで踊ってても、ねえ?