リアル − イマジネーション − バーチャル

これからのWEBの在り方としてリアルとバーチャルがどうのこうのと先日書いた。
リアルだけでもダメ、バーチャルだけでもダメ、
対立する両者がいかにしてバランスを取っていくか。
そこのところの追求が今後重要になっていくだろう。とかそういうこと。
もちろん多くの人が同じようなことを考えていて、
それぞれに意見が発信され、様々な議論が日々交わされているのではないかと思う。


昨日とある集まりで、やはりこの話になった。
そのとき僕はこういうことを思いついて言った。
リアルとバーチャルはピタッと隣り合わせているのではなくて、
接点となるもの、その狭間にあって仲立ちするものが必要なのではないか?
で、それって人間のイマジネーションなのではないか?


バーチャルの世界だけで完結して、
スクリーンの中の映像を見続けてキーを押していれば物事が完結する。
それだけでは発展性がない、というか人は物足りないと感じるのではないか。
かといって、それがリアルと1:1のスタティックな関係性でガチガチになっても面白くない。
そういうのって恐らく、実用的な用途だけを問われるのだと思う。
GPSと連動して自分の居場所がわかることで、付加情報が得られる地図システムとか。
そこではリアルとバーチャルは足し算でしかない。


イマジネーションが介在することによってリアルとバーチャルが掛け算となるもの。
利用する側の発想によって、そこにいくらでもユニークな価値や価値観、
それをポジティブに評価するためのルールが生まれるもの。
そういうのが次のブレイクスルーにつながるのではないか。


僕がこういうことを考えたきっかけは
昨日の会合で提示されたとあるサイトのアイデア
それはリアルとバーチャルをうまく融合させてゲームが行なえるというものだった。
その内容をここに書くわけにはいかないが、その場に居合わせた人はみな面白そうだと唸った。
僕はなかなか画期的だと思った。
ゲームの内容そのものではなく、リアルとバーチャルの結び付け方が一工夫あって。
イデアを出した同僚はやはりリアルとバーチャルの在り方について日々あれこれ考えていた。
考えている人は既にどんどん考えている。
そして現実に何かを生み出そうとしている。


人間が人間であることの意味というかすごさって言うのは
やはり想像力にあるのだと僕は思う。
そこをもっと前面に押し出すべきなのではないか。
ユーザーエクスペリエンスというのはサイトの側から一方的に全て与えられるものではなく、
利用する側にある程度の余地が残されているものの方が絶対面白いはず。
受動的に情報を見たり聞いたりして単一のものを受け取るのではなく、
ユーザー・コンシューマーが能動的に情報を発信して
集合知を形成するのが WEB2.0 とされるのならば、
能動的に情報を見たり聞いたりすることでそれぞれが別な価値を見出す、
それを共有するというのも WEB2.0 ではないか。
発信であれ、受信であれ、
それぞれの想像性に委ねられるものに重きを置くということ。


自由度の高さそのものが価値を生み出していく仕組。
有機的に、ダイナミックにルールが変わっていくことで
より高い価値を生み出すことを可能とする仕組。
当たり前と言えば当たり前のことだけど、これまでの WEB ではそれが果たせなかった。
ここから先はそういう方向性へと向かうのだと思う。