Yシャツにネクタイ

学生時代、就職を前にして
社会人になったら日々スーツを着るんだろうなってことに対して
ユウウツな気持ちを抱いていた。
Yシャツにネクタイってのが社会と会社に束縛され、
自由を失うことの象徴のような気がして。


会社員になるとすぐ、そんなことどうでもよくなった。スーツに慣れた。
カジュアル・フライデーなんかはいまだジーパンにTシャツだが、
他の平日はスーツの方がむしろ気が楽だ。
何にも考えなくていいし。
Yシャツやネクタイが違ってたら続けて同じスーツ着てても別にいいし。
日々着回していかなくてはならない女性は大変だなあと思う。


このところ、たまたまなんだろうけど
50年代や60年代の小説家や音楽家、映画監督の写真を目にすることが多かった。
例えば、覚えているところでは
アントニオ・カルロス・ジョビンアストル・ピアソラ
アルバムの中の写真に写っている彼らは白のYシャツを着て、ネクタイを締めている。
公式の場にいるから着ている、ってのではなく
それが大人の一個人の普通の服装だからって感じで。
着崩すことはなく、ピシッと決まっている。


それを見て、「ああ、かっこいいな」と思う。これぞ大人。
「ああいうふうになりたいな」とすら思う。
白のYシャツにネクタイってのは
自分はこの物事に対して真剣に取り組んでいるという人間にとって、
最もふさわしい服装なのではないか。


それで言うと、今の僕は普通のYシャツに普通のネクタイで
違和感のある姿かというとさすがにそんなことはないが、
かっこいいかというとそれもなく、ただなんとなく着ているのレベルを脱しない。
まだまだYシャツとネクタイに「着させられている」というか。
こういう感覚って僕だけじゃなくて、結構な割合の会社員が感じていることなのではないか?
ある種の大人にとって永遠の課題なのかもしれない。


休日にスーツでもかっこよければ本物だな。
僕はまだまだ全然その域に達しない。
金土日とスーツから離れるのがよくないのかもしれない。


それ以前に、アントニオ・カルロス・ジョビンアストル・ピアソラといった
そのジャンルの頂点を極めたような人はそもそも風格があって、何を着ても似合うのか。
まあ、そんなとこなんだろうな。