以下、昔書いた小説を手直ししたものの抜粋。
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友人がかけたのはハウスのクラシック。
80年代末ぐらいの。名前は思い出せない。
極端に音の数が少ない、ほとんどリズムだけの。
シルクのような肌触りの。
そのリズムが増殖を繰り返して暗闇の中でうごめく。
僕の足元を這い回り、膝まで上ってくる。
そう、まるでディズニーのアニメの擬人化された音符のように。
首筋を塗れた手足で張り付いて、息を吹きかけて、
右腕を滑り台にして下りていく。
また、周りの全てが静止した。
今ここでは動いているのは僕だけだ。
澱んだ空気で息苦しくなる。
ガラガラに空いたガラス張りの黒いフロアに大きくひびが入っている。
それが薄明かりを反射して浮かび上がる。
どこかで猫の鳴き声が聞こえる。
ユリが座り込んでいる僕に気付いて近寄ってくるのだが、
僕はそっけなく手で振り払う。
「いいの?」「いいよ」
またしても音符たちが現われて、彼らは(いや、彼女たちなのか?)行進をしている。
出口へと向かっている。
手にはミニチュアの楽器。何十人といる。小さなオーケストラだ。先頭には指揮者。
立ち止まり、僕に向かってお辞儀をしてみせる。微笑む。チェシャ猫の笑い。
ソファーがどんどん大きくなっていく。
僕はそこにちょこんと乗っかっているだけになる。
僕は子供に戻る。
不思議の国のアリスのアニメを初めてテレビで見たときの記憶が甦る。
フラッシュバック。
立ち上がっても僕よりも大きなブラウン管に、この僕が映っている。
僕が僕を覗き込む。
見上げると天井は永遠に追いつけないぐらいの高さ。
幾何学的な模様がウネウネとうごめいて気味の悪い模様を描く。
巨大化した両親が僕を見下ろしている。
その瞳には僕が映っていない。
悲鳴を上げる。
僕は立ち上がって音符たちの後をついていった。
僕も両腕を振って行進する。
音符たちは階段の前で立ち止まって、さっと両側に分かれ、この僕のために道を開ける。
何匹かがピョンピョンと飛び跳ねている。
グランド・フィナーレ。
賑やかで軽やかな演奏。
階段を上っていく僕には後ろを振り返ることができなかった。
彼らはまだ、そこにいるのだろうか?
それともそこには、暗闇しか広がっていないのだろうか?