ストリップ

一昨日、高校時代の友人たちと飲んでいたら奈良屋劇場の名前が出て
(僕らの世代で青森市出身ならばなんのことかわかりますよね)
その後、青森にも昔ストリップ劇場があって・・・、という話になった。
「どこ?」
「中三の裏。今で言えばアウガの脇っでどごがな」
ふーん、そうなのか。あるんだねえ。
そんで今はもうやってないらしい。そりゃそうか。
21世紀の今、青森でストリップの店が繁盛していたらそれはそれで何かがおかしい。


興味が出てくる。
小説家になることがあったら、いつか書きたいと思う。
ドキュメンタリー映画でもいい。
可能ならば関係者の証言を集めて。どんなものだったのか。
踊り子に、経営者に、客。
無理かな。聞いて回ったところでよそ者扱いされて嫌がられるのか。
下手すると暴力団関係者につながるかもしれないし。
写真とか映像とか残ってないだろうか。
一切残ってないよなぁ。


津軽のストリップ劇場なのだから
寺山修司的な「見世物小屋」の世界かというとそんな高尚なものであるわけ絶対なくて。
場末の裏寂れた単なる風俗に過ぎないのだろう。
でもねえ、本州最北端の津軽の地なわけで、何かしらそれって影を落としてそうで。
津軽海峡冬景色」に代表されるような演歌で歌われるような幸薄い女性が
どこかで人生に転落して、流れ流れて青森に行き着いて踊り子として採用される。
新町か本町のどこか、店の近くに六畳一間のアパートを借りて住む。
最果ての地青森で送る生活は華々しいことは何も無く・・・
僕はそんなのを想像する。
どんな日常生活がそこにはあったのだろう?
ステージの上ではどんな光景が繰り広げられていたのだろう?
どんな音楽が流れたのか、どんな衣装を脱ぎ捨てたのか、
客席や楽屋裏ではどんな会話が交わされたのか。
どんな照明を浴びて、心の中には何が浮かんでいたのか。


「描く」というほどのものではないのかもしれない。
そこではただ単にストリップの劇場が営業していて、摘発を受けたか経営困難で店を畳みました。
それ以上のことは無いのかもしれない。
かつて踊り子だった人を見つけ出すことができて話を聞けたとしても
「心に何が浮かんでましたか?」という質問にはポカンとした表情を浮かべるだけだろう。
「いや、特にこれと言って何も・・・、もう昔のことだし」
そんな答えが帰ってきそうだ。
伝説のダンサーがいて、みたいな話は期待できない。
だとするとノンフィクションではなく、幻想を織り交ぜてフィクションとして書くべきか。


書くとしたら「津軽」というキーワードは外せなくて、
縦糸は「かつて北のはずれ青森市にストリップの小屋がありました」だとしても
横糸は絶対「津軽」という土地柄となるだろう。
というか僕にとっての「津軽論」となりそうな気がする。