部屋に一人でいるとき、女性シンガーソングライターのアルバムをよく聞く。
Carole King 「Tapestry」
Joni Mitchell 「Blue」
この2枚がやはり名実共に別格であるように思う。
「Tapestry」はどういうロック名盤100選でもたいがいトップ10に選ばれるし、
Joni Mitchell は今も昔も孤高の存在であり続け、特に女性アーティストからの信望が厚い。
もう1枚選ぶならば
Laura Nyro「New York Tendaberry」
この3枚かな、僕にとって。
「Tapestry」「Blue」と並ぶだけの音楽的充実度を持った数少ないアルバムの1つだと思う。
Laura Nyro だったら世の中的には1つ前の
「イーライと13番目の懺悔」(タイトルが秀逸)の方が評価高いみたいだけど、
僕としては断然こっち。
曲によってはオーケストレーションが加わるものの
ほとんどの曲が Laura Nyro のピアノ弾き語り。
思い浮かぶ言葉は「情念」と「静謐」
一人きりの声とピアノ、そして音が鳴っていない数々の瞬間の、漆黒の闇のような、絶妙な間合い。
Laura Nyro にしか紡ぎえない、
1970年、ニューヨークの Laura Nyro にしか紡ぎえない、歌の世界。
アルバムのバックカバーにはニューヨークのひっそりとしたペントハウスから撮影された
夜を迎えようとする瞬間を捉えた摩天楼。
孤独の向こうに灯された、無数の灯り。その儚い美しさ。
一人の天才の、その才能の煌きのピークを捉えることのできた、稀有な作品だと思う。
リマスター・紙ジャケで再発されたのをきっかけに
聞き直したくなって昨日会社帰りに買いに出かけ、家に戻ってさっそく聞いた。
年末からずっと落ち込んだままの僕は、Laura Nyro が聞きたくて聞きたくてたまらなかった。
「New York Tendaberry」を聞き終えて、とても心に沁みた。
僕があれこれ感想を語るよりも、アルバムのライナーノーツから
ロック史上でも特に印象的なエピソードを2つ紹介するのがよいのではないかと。
渡辺亨氏の解説から引用します。
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『ニューヨーク・テンダベリー』のレコーディング期間中、
ローラは、79丁目にあったアパートメントから馬車に乗ってスタジオに通った。
しかも彼女は壮麗なドレスに身を包んでスタジオに現われ、レコーディングに臨んだ。
そしてスタジオの中に蝋燭の炎やランプの灯をともし、
『ニューヨーク・テンダベリー』にふさわしい雰囲気を演出した。
さらに付け加えると、スタジオには、
毎晩テーブルクロスとワインが添えられたディナーが用意されたという。
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実は、『ニューヨーク・テンダベリー』と
マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』の録音時期は、
ほぼ重なり合っている。
しかもこの2枚のアルバムはが録音された場所は、
ニューヨーク52丁目のコロンビア・スタジオB。
(中略)
前述したように、ローラにとってマイルスはかけがえのない存在だったので、
彼女はこのヒーローの突然の訪問を歓迎した。
そして、とある1曲にゲストとして参加し、トランペット・ソロを吹き込むよう求めた。
しかし、マイルスはその曲のトラックにじっくり耳を傾け、このように応えた。
「ここに俺が付け加えるべきものは何もない」
("I can't play on this, You did it already")
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「New York Tendaberry」は1人のアーティストが
己の資質に忠実になることによってどこまで官能的になることができるか、
その到達点であるように思う。
(1人の女性として官能的ってことではなくて、あくまで音の佇まいとしての)
もちろんそれは下品ななまめかしさではなく、
そこにあるのは青白い、かすかに揺らめく炎。
その瞬間の1つ1つが、静かにうつろいゆく情景。
アポロが月に到着した時代に、ドレスを着てニューヨークで馬車?
そういうところの1つ1つにまで
自分の求めるものを貪欲に追い求めなければ
生まれえない表現がそこにはあって、
このアルバムには確かにそれがはっきりと刻み込まれている。
刹那。それを閉じ込めた歌声。