父の不在

今、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンの自叙伝を読んでいる。
分厚いハードカバー2段組で400ページもある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4770501196
(原題は名作「Pet Sounds」の1曲目から取られた「Would'nt It Be Nice」)


今でこそビーチ・ボーイズ
孤独な天才ブライアン・ウイルソンの内面性と共に語られるようになったが
それでもまだ世の中の大勢の人のイメージとしては
「夏だ!ビーチだ!サーフィンだ!!」ってことになるだろう。
(日本では反町隆史竹野内豊のドラマの影響もあってさらに強固なものとなったかもしれない)


100ページまで読んで、
アルバムにして「シャットダウン vol.2」シングルでは「I Get Around」のところまで来た。
時代にして1964年、カリフォルニアの空はまだまだ青くて何の翳りもなく、
デビューしてまだ駆け出しのビーチ・ボーイズ
「夏!ビーチ!サーフィン!!」な全米ヒットを連発していた。


なのに、暗い。死ぬほど暗い。明るい話題がほとんどない。
「浮かれ騒いでる時間なんていらない、僕はいい曲を書きたいだけなんだ」という願いと
抑圧的な父に対する心の底からの憎しみ。ただひたすらそれだけが綴られる。
1パラグラフごとに「そのとき父が僕にどんなひどいことをした」ってことが語られ・・・
ちょっと、どころかかなり異常。
読んでて辛い気持ちになってくる。


ビーチ・ボーイズはブライアン、デニス、カールのウイルソン3兄弟に
従兄弟のマイク・ラブが加わり、というようにファミリー・バンドからスタートしている。
まだ幼い息子たちが結成したグループのマネージャーを買って出た父は
ラジオ局に熱心に電話をかけて地道にヒットを生み出すなど、
ビーチ・ボーイズを世に送り出すに当たっての立役者となるものの
売れ出した途端何でもかんでも自分の思い通りにしようとし、軋轢が生じる。
いわゆるコントロール・フリーク。
気に入らないとすぐに怒鳴りだし、平気で暴力を振るう。
音楽的才能に恵まれているわけでもないのに
ブライアン・ウイルソンの書く曲や演奏、プロデュースのことごとくに口を挟み、
マネージャーを解雇されると「俺は父親だから」と稼いだ金の全てを取り上げようとする。


ひたすらそれが語られるだけの100ページ・・・
天才の心の内は知る由もない。


じゃあそのブライアン・ウイルソンが良き父になったかというと、そんなこともなかった。

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小学1年生のときに父が亡くなって、僕は母子家庭で育った。
今、生きているとしたら僕はどんな息子になっただろう?と思う。
「父親」という存在をどんなふうに捉えていただろう?
どんな関係性を築いただろう?


僕にとって「父親像」というものは
誰かの語る、誰かにとっての父親像がほぼ全てとなる。
父の記憶はある、確かにある。
だけどそれは脆くて、余りにも儚い。
仕事が忙しくて早い時間に帰ってくることはほとんどなくて・・・
そして交通事故で死んでしまった。


読んでて、そんなことばかり考える。


母から先日電話がかかってきて、
3月の父の命日の頃、青森で二十七回忌をやるから帰って来るようにと言われる。


ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影