anan の例のヤツ

去年の夏に出て、
ダルビッシュのヌードも載ってるってことで話題になった anan の SEX 特集号。
真っ白なベッドの中、「さあ、あなたを待ってますよ」って感じで
両手を頭の下で組んでいる上半身裸のダルビッシュ
その真下に大きな書体で
「みんな教えて!女にとって最高のSEXって?」
さらに大きなサイズで「SEXで恋がときめく!」と書かれている。


どんなもんなんだろうか?と思って、当時買ってみた。
で、即ほったらかし。
今日の朝部屋を片付けてたら出てきて、暇だったので読んでみた。


もうこの年になると目新しいことは何もない。
「えええっっっ!!!女の人ってこういうものなんですか!!??」っていうような。
あったらおかしい。というか、悲しい。


話を要約してみると、まあつまるところ、
コミュニケーション、相互理解ですよ。何事も。
自分の気持ちに素直になること、そしてそれを理解してもらうこと。
そのためのちょっとした努力をすること。


愛が足りないのではなく、理解が足りない。
そう、それはこの世界で起きていること全般について言えることだ。
911の日、世界貿易センタービルジェット機がぶつかったこと。
それを受けてアメリカ軍がイラクを侵攻したこと。
ペルシャ湾での給油を継続すべきかどうか
この前の国会で噛みあってんだか噛みあってないんだかって感じの議論がなされたこと。
例えばこれら全て、理解しよう、歩み寄ろうという態度の希薄さにより生み起こされたものである。
究極の部分で、人は理解しえない。
そしてそれはアダムとイブがエデンの園にて蛇にそそのかされて
リンゴを食べたときから始まったのであり、問題は根深い。
・・・なんてことを anan の SEX 特集号を読みながら考えた。
青森から送られてきたリンゴを食べつつ、
ああ、オレ、これ持ってたんだ?と浜崎あゆみの昔の CD を聞きながら。


もう一度繰り返す。
究極の部分で、人は理解しえない。
だから結局どれだけテクノロジーが発展したり情報が行き渡るようになったとしても
いくとかいかないとか気持ちいいとかよくないってのは
バーチャルなものが満たされることはあるかもしれないけど、
人としての本質的な部分は変わらないから、それっきり。
永遠に男女の間の溝は埋まらないまま。
そして anan は SEX 特集号を定期的に繰り返す。
anan に限らず、いろんな雑誌が。


あらゆる人々が常に裸で暮らしてて
その気になったらところ構わず見知らぬ人とその辺でやってる。
そういう世の中にでもならない限り、SEX を巡る状況は変わらない。
そしてそういう世の中になることは決してないだろう。
秘め事は秘め事のままであるのがいい。


それにしても。
マニュアル部分の例えばキスの仕方ってことで
「彼の背中に手を回すときは、脇の下をたどりながら」ってのはまだなんとかなるとしても
×××の仕方、例えば「?××に×を這わせて×××を×××××」
ってのはどれだけ実践されるものなのだろう?
こういうのってマニュアルとしての意図というよりも、実際には
女性に性的なファンタジーをかきたてさせる、という意図の方が強かったりしないか。
世の中には、一線を越えたどこかには、こういう領域も広がっていたりするという。


どっちかだと思う。
こういうマニュアルを読まずとも好奇心と試行錯誤で独りでに近いところを身につけた人と
どれだけ情報が溢れていようと自分から試してみるだけの強い気持ちがない人と。
いや、違うのか。
世の中の男女はこういうマニュアルを夜、2人で眺めながら
「今日はこういうことをやってみようか」としてるのか。


この手のマニュアル本って本屋でたくさん売ってるじゃないですか。
あれって、相手のいない人の性的ファンタジーを満たすために存在してるんじゃないの?
と僕は思っていた。


いつもとは違う大胆なことがおずおずとぎこちなくベッドの上でなされた。
うまくいかなくてちょっと気まずくなった。
男は思う。この子は anan を毎回買って読んでいる。
で、世の中的にはダルビッシュが脱いだこの前のが話題になっている。
そのことに思い巡らすとき、男としてはすこしばかり複雑な気持ちになるのではないか。
肯定でも否定でもなく、あくまで、なんとなく、「複雑」な気持ち。

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今日の夜は合コン。
手ぶらで行きたかったから携帯に麻雀のゲームを入れた。
やってみたらはまって、今そればかり。


昼は出来合いのトンカツを買ってきて、カツ丼を作って食べた。