青森帰省 その4

okmrtyhk2008-03-23


慣れない布団、というか慣れない空調のため
完全に寝てるのとうたた寝を行ったり来たりする。
たくさんの夢を見る。寝てる間ずっと夢を見ていたように思う。
ものすごく長く寝たような気がして、物音がして目が覚めたら6時だった。
母は既に一風呂浴びた後だった。
外は寒くて、露天風呂に入ったら風引きそうになったと言った。
僕も入りに行く。6時だというのに結構な人がいる。
昨日・今日と、遊びたい盛りの小さな子供と一緒の父親をよく見かける。
土日に家族で訪れるにはちょうどいいのかもしれない。


朝食は1階の広間で。2人用、3人用、4人用など分かれている。
貝焼き味噌ではないが、ホタテ貝の上に出汁と帆立など具材を入れて焼くのが出てきた。
焼鮭に漬物など。その他、生野菜のサラダやご飯、味噌汁はバイキング形式。
野辺地町の隣の平内町はホタテを全面的にアピールしている。
もちろん野辺地もホタテが取れるはずであって、旅館やホテルの食事はホタテがメインとなる。


会社と大家さん向けに東京土産のお菓子を買う。
昨日、部屋に通されたときに食べたお菓子が不思議な味わいで、これにしようと思う。
会社で食べようと南部煎餅も買った。


そういえば昨日書き忘れたが、ここのホテルには「ディスコバー」なるものがあった。
2階にあって、営業開始前に行ってみたら分厚い両開きのドアが閉じられていた。
青森の片田舎のディスコ。どんななのだろうか・・・
とても気になった。ユーロビートでパラパラを踊ってそうな・・・
そうか。ディスコってのはこういう地方で化石のように、退化した姿で生き残っているのか。
10年前にススキノのキャバクラで聞いたような、けたたましいテクノもどきが鳴ってそうだなあ。
で、赤とか青とか黄色のフラッシュライトが入り乱れて。
あーちょっとでも覗いておけばよかった。
団体さんが中で2次会やってていい年したオヤジが盆踊りみたいなのを踊ってて。
女性の店員がサクラで踊ってるのだろうか。ペラペラの衣装を着て。
もし誰か専属でダンサーがいるのだとしたら、それ、とても気になる。
旅館で働いている人にはそれぞれ触れてはならぬ「過去」と「本名」があるとするならば
(全員が全員そんなわけないけど、というか少数なんだろうけど)
同じようにホテルで住み込みで働いているダンサーにも過去があるはずで。
昔は地元の札付きのヤンキーで青森を飛び出したんだけど、
結局戻ってきて今でも化粧は濃いとか、そういうやつ。
夜のそのディスコの店員だけだと食えないから、昼は普通に布団の上げ下げをやってるとか。
こういうのを設定に小説が書けるなあと思った。


ここには居酒屋もあって、夜、本を読みながら酒を飲もうかと考えたんだけど、
どれも座敷の席だったので雰囲気が違うなと諦めた。


食後、すぐホテルを出て青森に戻る。
帰りの車の中は特に話すこともなく。
あっという間に1時間もしないで到着する。


昨日から食いすぎの傾向なので昼は食べない。
「ベスト・アメリカン・ミステリ」を読み終える。


カレーの残りやお土産など、あれこれを荷造りして段ボールに詰めて宅急便に出す。
明日の夜、東京で受け取れるようにする。


夕方、銭湯へ。
16時といつもより早めに行ったらいつもと違って大勢入ってた。早々に出てくる。
夜、母とイタリア料理屋 Adesso へ。
魚系のラビオリや虹鱒のソテーを食べた。うまかった。
話しているうちに母方の親類の話となる。祖父よりも前の時代のこと。
青森市内の高校(当時は中学)に合格したんだけど、
 津軽半島の先っぽの今別まで合格通知が届くのが余りにも時間が掛かって、
 手続きが遅れて不合格扱いとなった」といった話。明治のこと。
叔父がその当時のことを聞き書きでまとめてて、
その小冊子がまだあるとのことで家に帰って探したら、あった。
家系図が載っていて、何代か前に僕と同じ名前を見つける。


5日間の休みも4日目が終わろうとしている。早いもんだ。


部屋の中には僕が高校時代3年間に乏しい小遣いの中から捻出して
レンタルからCDを借りてきてダビングしたテープが山のようにある。
帰省すると夜、懐かしくなって聞いたりする。
(まあたいがいはその後大学生・社会人になってCDで買い直してますが)
これらテープはそのときの気分でどれかを聞くというよりは
ここ何年か聞いてるのはだいたい一緒。
Todd Rundgren のベストと、Peter Gabriel の4枚目と5枚目。
ああ、僕はこれらのアルバムがとても好きなんだなー、と知る。
こればっかり聞いてる。聞きやすくて、耳にとても馴染んでる。
無人島に1枚だけ持っていけるとなると別なもの選びそうだけど、
5枚まで持っていけるとなると、この2人のアルバムは絶対入るのだと思う。