「パラノイドパーク」

29日の休日、渋谷に映画を2本見に行った。
パラノイドパーク」と「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」


パラノイドパーク」はガス・ヴァン・サント監督の最新作。
http://paranoidpark.jp/index.html
「エレファント」同様、高校生が主人公。
スケボーに熱中する普通の高校生がふとしたことから人を殺してしまう。
誰にもそのことを明かさずそれまで通りの生活を続けていたのだが、
1ヵ月後学校に刑事が現われ・・・
その1ヵ月の間に起こったこと。
両親は別居の末に離婚。
興味のないガールフレンドに引きずられる形で初めてのセックス。そして別れを告げる。
スケボーの練習は何とはなしに続け、別の女の子と会うようになる。
そういったことの数々。
彼は心の重荷を吐き出すために誰とは無しに手紙を書いて、
自分に降りかかった出来事を語ろうとする。
彼は自分がいかに小さな問題、小さな世界に捕らわれていたのか、気付く。
なのに彼のその小さな世界は今、閉じられようとしている。


それまで「グッド・ウィル・ハンティング」などで
なかなかいい話をなかなかいい感じで撮る普通の監督だったのが、
ある時からムクムクと頭をもたげてきた欲望に身を任せるようになって、覚醒。
「エレファント」がこの世ならぬものを描いてしまった大傑作だとしたら、
パラノイドパーク」はその先に進んだ作品だと思った。
それが何を描いているのか、正直僕にはうまく言葉で言えない。
だけどそこには映画にしか描けない何かがあった。
「何かを描いたり語ったりする前に、何よりもまずそれは映画である」
という当たり前だけどどうにも難しいこと、
映画を志した人間の中でも一握りの人しか到達できなかったこと、
そこに向けて1歩近付いて、その純度が高まったという、そんな印象を受けた。


監督の故郷、オレゴン州ポートランドが舞台。その風景の美しさ。
8mmで撮影されたスケートボードの光景。その美しさ。
それだけで既に映画になっている。
90分弱の短い時間の中でその余韻に浸る。


時間軸は崩され、前後し、同じシーンが何回か登場する。
ありきたりな手法なのに、そうしないことには描けなかった、語れなかった。
主人公とその世界がどうなっているのか、
そこには何があるのか、何が変わったのか、何が変わらないのか。
主人公を取り巻く、静けさに満ちた混乱。


美しい映画。
語るべきものを持った、映画。


今やガス・ヴァン・サント
高校生の何気ない生活を切り取っているだけで、
学校の廊下を歩いているというだけで映画になってしまう。
傷つきやすさ。大人になることへの不安。
様々な物事への疑問。
そしてそれは決して答えが得られないのだということ。
今も。大人になったとしても。