Tribute To Cloverfield

メールも電話もつながらない××国の奥地からたった今帰ってきた。
当初2ヵ月の予定だった水質調査は
機材関係のトラブルや天候不順など様々な要因で結局4ヶ月にまで伸びた。
××国を発つ日、首都の空港から妻に国際電話をした。留守電になっていた。
出発の時間まで時間があったから、何回か掛けてみた。
だけど留守電のまま。時差を考えても向こうは真夜中だったりすることもなく。
どうしたのだろう?と思ったのだが、そういうこともあるかとメッセージだけを残した。
○○航空の何時の便で空港に到着する。そこから急行に乗って何時頃には到着する。
手紙はこちらでの受け取りが事実上不可だとしても、
こちらから送ることだけはできたから
(ただし、検閲されていなければ、杜撰な郵便制度の影響を受けていなければ)
同じ内容の要件は事前に伝えている。


入国審査を終えて、税関を通過して。
××国帰りだったから入念に健康のチェックを受ける。血液検査をする。
空港の到着ロビーで妻が待っていた。僕の姿を見かけると大きく手を振った。
僕も小さく、振り返した。
「おかえり」「ただいま」
妻が僕のスーツケースを替わりに持とうとする。「電車乗るまでね」
エレベーターを下っていく。「いない間、何かあった?」
妻が驚いた顔で僕を見る。「知らないの?」
「何を?」
「大変だったんだよ?世界的なニュースにもなった。ほんとに知らないの?」


現地で生活していると、何の情報も伝わってこない。
辺境の村。人伝えで何かしら知らせは伝わっては来るが、
何人・何十人と経るうちにその情報はぼやけたものになってしまっている。
そういえば先月、「あなたの国で大変なことが起きたらしい」と聞いた覚えがある。
だけどその詳細は誰も知らない。
戦争が始まっただとか、地震で首都壊滅だとか本当の大惨事ならば
すぐにも呼び戻されていただろう。
(すぐと言っても情報の混乱の中でまあ何週間か何ヶ月か掛かっただろうが)
そういう様子でも無さそうだったから、そのときは「ふーん」ぐらいにしか思わなかった。
オリンピックで金メダルを取ったとしても「大変なことが起きた」と伝わるのだから、仕方がない。
2ヶ月前に1度、本社からの交代要員が到着したことがあったが
彼に聞いたときも特に大きなニュースはなかった。
与党と野党の対立、中学生が引き起こした猟奇的な事件、断続的な物価上昇。
いつも通りの話だった。


妻は言う。「大変だったんだから」
何が起きたの?
二人分の指定席を買って、ゆったりとしたシートに沈み込む。
「実際に見た方がいい。言葉で言っても、何も伝わらない」
それっきり、別の話題になった。
僕のいない4ヶ月の間に起きた、共通の友人の話、親戚の話。
疲れていた僕は途中、眠り込んでしまった。


到着して、さらに乗り換えて。
住んでいる町に戻ってきた。
改札をくぐって駅から出ると相変わらずの見慣れた風景。
それも今は懐かしかった。
何の変哲もない。いったい何が起きたと言うのだろう?


タクシー乗り場に並んで、マンションまで。
車窓から街並みを眺める。ふとした瞬間に、どこか違和感を覚える。
しかしそれが何なのか分からない。タクシーは通り過ぎてしまっている。
マンションに到着して、30階までエレベーターで。
「驚くよ」と妻が呟く。
鍵を開けて、中に入る。
スーツケースを玄関に置いたままにして、リビングへ。
ソファーに座ろうとしたら、妻が先に立ってカーテンを開けた。
「見て」
僕は立ち上がって、リビングを横切って、隣に立った。


遠くに見える、向こうの町が消えてなくなっていた。
いや、正しく言うならば、更地になった部分と瓦礫の山とが混在していた。
そこにはオフィス街のビルと高層マンションとが建っていたはずだ。
「何が、あったの?」


「怪獣が」
「え?」
それっきり何も言わない。
「怪獣?」
そんなの漫画や映画の中の話だと思っていた。
現実にあるわけがない。


「ここは?大丈夫だったの?」
「真夜中だったんだけど、大きな物音がして目が覚めて、携帯が鳴って、
 見たらもうそれは戦闘機から撃たれた何かで倒れこんでて」
そいつがもたれかかったビルが崩れた。
その爆風で台風のときみたいに窓がミシミシと揺れた。
砂や石の破片がここまで飛んで来た。粉塵がひどかった。
ここからだとそれは黒い塊にしか見えなかった。
同じマンションの人たちの多くは避難していたけど、
妻は目の前の光景を見つめて、「もう終わったことだ」と感じた。
朝になるまで、眺め続けた。


翌朝から2週間かかって撤収作業が行われた。
各国の報道陣が周辺の町に押し寄せてきた。
妻の携帯にもあちこちから掛かってきた。
「大丈夫」「私は生きている」と答え続けた。


怪獣が放っていたものなのだろう、ひどい匂いがいつまでも空中に漂っていた。
今でも風向きによってはその匂いがするように思う、と妻は言う。
話はそれで、おしまい。


この話を聞いて僕がぼんやり思ったのは、
映画の中の地球防衛軍って弱っちくて
怪獣にいくらミサイルを打っても何の効果もないのに、
現実だと割と強いんだな、ということだった。
いや、怪獣の方がただたんに図体がでかかったというだけで
元々そんな強いものじゃなかったのか。


「何だったの?それは」
「わかんないまま」
ニュースもワイドショーも毎日のように騒いでいたけど、それも治まった。
たくさんの人が死んで、追悼式典が行われて。
怪獣の肉片のサンプルを受け取った各国の研究所が
それぞれ調査を行っているが、たいした情報は得られず。
それが宇宙から来たものなのか、深海から生み出されたものなのか。
結論は出ていない。
いや、結論は出ているのかもしれないけど、公表されていない。


インターネットで検索したらたくさんの画像が見つかった。
ニュースを時系列に沿って追っていくこともできた。
しかしそこから得られるものは生気を失った「事実とされるもの」でしかない。
リビングのカーテンを開けて目の前に広がる、
ぽっかりと空いた空間の異様さ。その生々しさ。
リアル過ぎて逆に何かの間違いかのように思う。

    • -

この国に戻って来て、妻と僕の生活はこれまで通り続くことになった。
何日かすると、このことを話題にもしなくなった。
30階からの風景にも慣れてしまった。


しかし何かが僕らの生活に忍び寄って、隣り合わせているかのような感覚が常にある。
見慣れたところで、傷跡は傷跡なのだ。


妻はこのマンションを売り払ってどこか別の場所に住もうと言う。
僕もそれに同意した。
休日になると良い物件がないか探しに、遠くへと出掛ける。
電車に乗って、車に乗って、遠くの町へ。
マンションの見学をする。


僕はいつも最初に、リビングからの風景を眺めてみる。
そしてそこに想像上の怪獣を重ね合わせる。
いつだってそいつはそこにいる。
そこに、見えるような気がする。