ニューヨーク その11(5月31日)

okmrtyhk2008-06-09


6時に目を覚ます。
日本時間にすると17時か。サマータイムを足して。
寒い。鳥が鳴いている。
眠っている間、遠くのハイウェイの音がかすかに聞こえていた。
無数の車が通り過ぎていく。
外は曇っている。確かに今日は雨かもしれない。


文庫版「枯木灘」には「覇王の七日」という短編が付録されていて、
それと合わせて柄谷行人の解説を読む。


ハイウェイは「ルート95」
南はマイアミから、ワシントンD.C.、ニューヨーク、ボストンを経て
北はメイン州、さらにカナダのハイウェイにまでつながっている。
南北の長さはもちろんアメリカ1となる。
それがすぐ目の前というのは何かがなんとなく不思議なもんである。


二度寝して、次に目が覚めたのが7時半。1階に下りていく。
乙一の短編集を読み始める。
元々がライトノベル出身ということもあってか、30分で100ページ読めてしまう。


8時を過ぎて同期の奥さんが2歳半の娘と一緒に下りてくる。
朝食の準備を始める。
この娘さん(仮にアッちゃんとする)がお転婆というかとても元気で
朝から動物の人形にブロックにとおもちゃ箱をひっくり回し、
プラスチックの大きな車に乗ってリビングを走り回る。


同期も下りてくる。朝食。マフィンとベーコンエッグ。挟んで食べる。
チョコレートケーキも一切れ出てくるが、いわゆるアメリカのケーキ。
「お替りします?」と聞かれるが甘すぎてそれ以上食べられない。
子供用のお菓子なのか、
茶色、緑、黄色とカラフルな色のチョコレートに包まれたひまわりの種も出てくる。
「ひまわりの種なんて食べないですよね」
「え?食べる地方もありますよ。というか昭和の時代はみな普通に食べてたんじゃないですか?」
そんな会話を交わす。


同期がシャワーを浴びている間、外を散歩する。
近くには「お屋敷もあるよ」と聞いていたので探してみる。
高級住宅地ということもあって周りはどこも広い敷地に庭のある家ばかり。
子供用のブランコや入り組んだ滑り台を置いている家もある。
これがそのお屋敷だろうという家を見つける。
2階建てで、10何部屋もありそうな。
いったいどんな人が住んでいるのだろう?
ここの家ではないけど、同期が引っ越し当初に近くの家に挨拶に行ったら、
米軍に所属して、50年代に日本で暮らしていたというお年寄りが出てきたという。


犬を連れてジョギングしている人を見かける。
歩いているうちに通りの外れまで着いて、向かいが墓地だった。
映画を見ると時々出てくるけど、
アメリカの墓地は日本と違っていて区画という考え方がない。
芝生の上に思い思いの色と形をした墓が気ままに、というと変だけど立っている。
四角くて上部が緩やかなアーチとなっている簡素なものが多いが、
十字架を乗せた墓石もちらほらとあって、
大きなのでは天使を象った像を乗せたものもあった。


引き返す。同期の奥さんとアッちゃんも散歩していて、帰り道一緒になる。
アッちゃんは子供用の乳母車を押していて、
アメリカ人のブロンドの赤ちゃんが乗っかっている。
それをガーッと押してみたり、立ち止まって何かが気になるのか部品を点検したり。
車が近付くと立ち止まって、「あぶないよ。ここでまって」と僕を止めようとする。


同期の奥さんがあれこれこの辺に住んでいる日本人のことを教えてくれる。
ここから30分ほど行ったところに松井稼頭央がかつて住んでいたとか、
坂本龍一矢野顕子の住んでいる家があるとか。
「え?でも離婚したでしょ?」と僕が驚くと、家はそれぞれ別にあって、とのことだった。


家に戻って2階へ。
同期のPCを借りてメールのチェックをする。
僕がいない間のことについて伝え忘れたことを会社にメールする。
1階に降りて天気予報を見る。
日本と違って雨の強く降りそうな箇所が赤く塗られていて、
それが時間の経過と共にどう推移するかがシミュレートされる。
グルグル巻いた渦が西から東へと次々に移動する。
赤い色だとまるで熱波のよう。


この日は同期と2人で出かける。
North Metro Railroad にて Rye から GCT へ。
10時20分に Rye を出る。電車はがらがらに空いていた。


終点に近付いて、イースト・リバーを渡る。マンハッタンに入っていく。
スパニッシュ・ハーレムに差し掛かる。
古びた、崩れかけの建物も多く、ゴミゴミしていて治安が悪そうだった。
狭い通りはどこも違法駐車で埋め尽くされている。
ニューヨークは土地が高く、圧倒的なまでに駐車場が不足しているという。