吉野家を出て、「コーラス・ライン」の劇場を探す。
吉野家が 42st で Schoenfeld Theater は 45 st となっていて、つまり3ブロック北。
途中、「ライオン・キング」「オペラ座の怪人」「モンティ・パイソン」の劇場を見つける。
この辺り、どこよりも劇場が密集していた。
賑やかに鉦と太鼓を叩きながら練り歩く4人組がいて、警官に呼び止められて質問を受けていた。
インド系ヒッピーな格好をしていて、先頭を行く白人の一人はモヒカン風に髪を剃り上げていた。
警官から解放されるとまた歌いだした。「ハーレーハレクリシュナー」
あー、これが「ハレ・クリシュナ」の人たちなのか。
もちろんニューヨークにもいるわけだ。
世間一般的にはカルト宗教の扱い?僕にもそんなふうに見えた。
チケットを見せて中に入る。「PLAY BILL」を受け取る。
2階席だった。古きよき昔からの劇場。
座席のクッションの色はワインレッド。同じ色の幕が舞台にもかかっている。
1階席はほぼ埋まっていたようだが、2階席は半分ぐらいの埋まり具合か。
「PLAY BILL」はキャストやスタッフのリスト、
キャストの「Who's Who」が記載された小冊子なんだけど
僕がもらったのは80ページもあって、「コーラス・ライン」に関するのは20ページぐらいで
残りは他の話題の新作ミュージカルの紹介のようだ。
「今日の○○役は誰それになります」っていうのが3枚挟んであった。
ほぼ時間通りに幕が開く。
床の上に白線(コーラス・ライン、つまりその他大勢のダンサーが超えてはならない線)が引かれ、
バックに(バレエ・スタジオのような)鏡が並ぶだけという簡素なセット。
劇団四季のあれこれ作りこんだ豪華なセットをいくつか見てきた僕としては
このシンプルさにこそ、このミュージカルの凄みというか普遍的な力を感じた。
ストーリーと音楽、ダンスと役者のアンサンブルで全てを見せ切る。
それって当たり前のことじゃないか?という余裕。
ストーリーは単純。ブロードウェイの新作のオーディションに集まった19人の男女。
オーディションって言っても主役じゃなくて、あくまで無名の脇役、いわゆる「コーラス」
ふるいにかけられていく中で彼らはそれぞれの生い立ちを語っていく。
そして最後に8人だけが選ばれる。
ストーリーもまたシンプル。
こういう構成だと全員が主役、対等で(とはいえやっぱり中心となる人物は出てくるけど)、
どこかしらスポットが当たる瞬間が必ずあってソロを披露できるってのがいい。
しかもキャラクターにメリハリつけやすくて、
英語が分からなくても、語られてる生い立ちが分からなくても、
この人はどういう人なのか、舞台上でどういうことが起こっているのか、
歌とダンスを見ているだけでそのあらましが把握できるようになっている。
英語が分からなくても、歌とダンスのアンサンブルで「コーラス・ライン」の何たるかを伝えきる。
すごいもんだなあ、と素直に感心した。
これを、「ブロードウェイという世界最高峰なのだから見る側としては当たり前」と捉えるか、
それとも「いや、個々のキャストがそこに辿り着くまでが大変なのだ」という視点に立つか。
「コーラス・ライン」ってそういう舞台裏をそのままミュージカルにしたのだから、
なおさらあれこれ考えさせる。
それぞれのキャストがこの舞台に立つまでにどれだけの苦労をしたのだろう?
どれだけの若者がニューヨークを訪れて、そのうちのどれだけが夢破れて去って行ったのだろう?
最後、あの有名なテーマ曲
(エビス・ビールのCMで使われている印象的なナンバーですね)に合わせて
それまで練習着だった全員が舞台衣装に着替えて、
溜め込んでいた思いを爆発させるように華々しく踊る。
「ああ、ミュージカルっていいもんだなあ」って生まれて初めて思った。
「なんでイチイチ歌ったり踊ったりしなきゃならないんだろう?めんどくさい、恥ずかしい」
と僕は思ってきた。
そうじゃないんですね。
本物のミュージカルならば、そこには歌も踊りも必然性がある。
それを知らずして人生を終えるか、知らしめて人生を終えるか。
ブロードウェイでミュージカルを見た人が
次にニューヨーク来たときにまたミュージカルを見るというのがよく分かった。
僕もたぶん、見ると思う。
・・・なんて偉そうに書いておきながら、途中は僕、寝てばかりだった。
吉野家で腹いっぱい食べて、なおかつセリフは分からず。眠くならないわけがない。
英語がもっとちゃんと聞き取れたら。
コメディーの要素が強いから、アメリカ人たちはセリフの端々に笑ってるんですね。
それが僕にはちっとも分からない。
文脈からストーリーを推し量ることはできても、個々のセリフのおかしさが汲み取れない。
面白さ半減してるんだろうなあ・・・
今回なんで「コーラス・ライン」だったかというと
「ライオン・キング」「マンマ・ミーア」「ウィキッド」これら四季で見たヤツはいいってのと、
同期が既に見てる「オペラ座の怪人」「シカゴ」を外して、
「STOMP」は同期の同僚曰く「一度見りゃまあいいか」程度なものらしく、
「レント」は英語を解さないとストーリーが全く分からない、とのことで。
僕が小学生か中学生の頃、青森に「コーラス・ライン」が来たんですね。
CM で盛んにやってたからよく覚えている。
あのメロディー。スポットライトの中で華やかな衣装を身にまとって一糸乱れぬ踊りを。
それが心の奥に刷り込まれていて・・・
まさかアメリカから来るわけ無いからたぶん劇団四季のだったんだろうけど。
帰りの電車の中で、同期はこんなことを言う。
以前会社で通訳を短期で雇ったとき、採用されたのがブロードウェイで役者を目指す女性だった。
高校を出てからずっとニューヨーク。年は僕らと同じぐらい。
たまたま日本に帰ったときに仕事を探していたようだ。
僕は思う。そういう人がこのニューヨークにはいったいどれぐらいいるんだろう?
世界各地から夢を追い求めてニューヨークにやってきた人たち。
自分の才能を信じて、あるいは闇雲な思いがあって、ニューヨークにやってきた人たちはまだいい。
勇気がなかった。チャンスがなかった。お金がなかった。国外に出られる状況じゃなかった。
ニューヨークを夢見ながらもかなわなかった人は、世界中にもっともっと多く、果てしなくいるのだろう。
22時半。劇場を出て、GCTまで歩く。バットマンの格好をした人がポーズを決めている。
一緒に写真を撮ったらいくらいくら、みたいな商売なのだろう。
バットマン以外のキャラクターも探せば見つかったのではないか。
同期は「一杯飲んでいくか」と誘うけど、夜も遅かったので帰ることにする。
帰ってから、2人でビールを開ける。
ボストンのビール「Samuel Adams」のうち、
「Boston Lager」「Cherry Wheat」「Cream Stout」「Honey Porter」の4種類。
飲んで話しているうちに1時近くになる。
ローマ皇帝が先日ニューヨークを訪れて、大統領が来たときのような騒ぎになった。
ヤンキー・スタジアムでミサを行って満員になった。
というような話。
1時頃眠る。