1 + 2 = 3

忙しい PJ のさなかにあるといろんな情報や憶測が飛び交って、
わけのわからない状態に陥りやすい。
問題として扱うべき事象ばかりが増えていく。
その1つ1つを分類して重み付けしたりして
冷静に客観的にマッピングして片付けていくことができればいんだけど、
なかなかそうもいかないのが世の常で。


問題事象(A)と問題事象(B)があったとき、
その影響範囲はどうなのか、誰が何を掴んでいるのか、
客観的にあれこれ具体化して切り出していけばいいのに、
人という生き物は焦って一足跳びに答えを求めてしまうから、あらゆることを見誤ってしまいがち。
問題事象(A)と問題事象(B)をとりあえず重ね合わして
巨大なモンスターが生まれたとあたふたして他のことが見えなくなってしまう、とか。
問題事象(A)と問題事象(B)があって、それを同時に考えなければならないというとき、
単純に並列に並べてみればいいのに、足し算でいいのに、
わざわざ掛け算をしてしまう。
そしてそれがどれだけのものになるのか
掛け算で膨れ上がった領域は具体的に誰にも分からないのに、
「とにかく大変だ」「カバーしきれない」と慌てふためく。
影響範囲が大きくなるというのなら、
まずは冷静に(A)の影響範囲と(B)の影響範囲を出してみればいい。
はしょらず、時間をかけて見ればいい。
だけど、えてして、人間はこういう地道な作業を嫌う傾向にあり、
パニックに近い状態だと、とにかくまず手近な「評価」に飛びついてしまう。


「1 + 2 = 3 である」この原点に立ち返ることの重要さを最近、とみに感じる。
物事は単純であるはずなのに変に難しく考えて、・・・ということ。


大変な PJ で日々過ごしていて、わけが分からなくなることばかり。
問題事象がどんどんもつれあって、解きほぐせなくなったように見える。
だけどそれも結局は足し算の集合だからいつか引き算していけるはずなんですね。
1コ1コやっていけばいい。もどかしくても、そうするしかない。
「時間が解決する」と世間の人はよく言うもんですが。
あれって、もつれ合ったものが自然に全て解きほぐれるとか自然消滅するとかそんなわけなくて、
少しずつ少しずつどこかで誰かが1コずつ解きほぐしているわけですよ。


忙しい状況になると、この「1 + 2 = 3」が通用しなくなるから、怖い。
数字に置き換えてみたとき、
「1 + 2 = 2.8 か 2.9 かもね、場合によっては 3.1 かも」みたいな会話を僕らはよくしている。
「ずれは誤差。誤差!」なんてね。


あるいは、
「2 って何? 1 の 2倍?それって定性的に?それとも定量的に?
 じゃあ 1ってどうなの?ゼロは?どう定義する?」と悩んでみたり。
(不毛な打ち合わせは、えてしてこうなりやすい)


あるいは、
「1 + 2 = 3.1 というように、左辺側にて加算の対象となる数値について
 右から左への一定の増加が成り立つならば、同じように
 2 + 1 = 2.9 が成り立つ」という説明を受けたならば、そうかも、と納得してみたり。
おいおい、「1 + 2 = 3」だろ?どこまでいっても。
時空を歪めるような物理学の大変な話が必要なほど、難解な PJではないだろ?


「1 + 2 = 3 って言われましたが、小数点以下は何桁まで対象ですか?
 1.0 + 2.00 = 3.000 みたいなことになると気持ち悪いですよね」
という、ある意味正しい指摘なんだけど、
この場合、そういうところを追求する前に
そもそも大前提となる認識というか足並みを皆で揃えようよって言いたくなることもある。
数学者の集まりじゃあるまいし。


忙しくなってくる、パニックになる、という状況になればなるほど
人は物事を簡単に考えることができなくなる。
忙しかった時期が過ぎ去って、後から振り返ってみたとき、
これってなぜなんだろう?といつも思う。