「ファウスト」

僕は僕が正しいと思ったことを貫く。やり遂げる。
誰の指図も受けない。
最後の最後、選ぶべきはそういうとこなんじゃないかと最近思う。


逆に言って、最後の最後に自分を信じられるかどうか。
それができないのなら、僕は、あなたは、今を真剣に生きていると言えるか?


bloodthirsty butchers の屈指の名曲「ファウスト」にこんな一節がある。


「努力も息も絶え 残された勘だけで 放つ」


最近この曲のことばかり考えている。
なんかようやく意味がわかりかけてきた。
ああ、そういうことなのかと。


何の迷いも無く真剣に生きていくということはとても難しい。
その瞬間瞬間において僕は誠実だったと言えるだろうか?
最後の最後、僕はどんな醜態を晒すのか?
何を放つのか?


混乱の日々、空虚な瞬間の1つ1つ。
それをやり過ごしていくだけの毎日。
目を閉じて街の喧騒を聞く。
目を開けて歩き出す。
何処へ?
そう、何処でもない。


「自由をしたたかに泳ぎ出す
 残された勇気のそばにいて
 あどけなく君と笑いこぼれ
 意味もない日々が動き出す


 疲れきって 悪魔と座って
 絶え間なく 天子は踊ってる」


他人を信じないとか、そういうことではない。
僕は僕を取り戻し、僕は僕と戦うのだということ。
その中で答えは見つかるのだということ。
その中でしか、答えは見つからないのだということ。


だからこそ、サビの一節はこうなっている。


ファウストはたった今 ファウストは僕の中」


僕らは何処へと向かうのか?
僕らは永遠に自らを探し続けるのだ。


ファウストはすぐには見つからない。
最後の最後になって、姿を現す。
そして僕は持てるだけの力を振り絞って、放つ。