「ノルウェイの森」映画化

先日書店で「ノルウェイの森」が平積みされていて、「映画化」と帯に書かれていた。
驚いた。いろんな意味で、「そんなの可能なの?」って。


まず思ったのが、「よく村上春樹が OK 出したよな」ってこと。
東宝東映が社運を賭けて何十億とつぎ込んで
主演が松ジュンと長澤まさみで、とかだったらまず絶対許可しないと思う。
かといって、中途半端なインディーズの企画でも断るのではないか、この人は。


家に帰ってさっそく調べて、
監督が「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユンだということを知る。
http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFE200807310001/index.html


フランスに亡命したベトナム人
なるほどね。それならなんか分かる、と思った。
日本語以外の言葉をネイティブとする監督が日本人の役者を使って撮る。
それならありえるかもしれない。


村上春樹の作品を映画化するなんて無謀だなあ」
と日本人の小説好きならば誰しもが思うのではないか。
大御所過ぎて、何をどう撮ったところで比較される壁が余りにも大きくて、気後れする。
どんなに映画界でキャリアを積んだ人だったところで「それはちょっと」って二の足を踏みそう。
現に村上春樹の作品の映画化って80年代の初めに
100%の女の子」と「パン屋襲撃」を山川直人が短編化しただけではないか?
ビッグネームになってからは聞かないよね。
たぶんいろんなオファーがあって、全部断ったのだと思う。
80年代末に「ノルウェイの森」がベストセラーになったときは
それこそあちこちからかなりの大金を積まれて引き合いがあったのではないか。
映画化しなくて正解だったと思う。
だからこそ、今に至るまで読み継がれているのだ。
ノルウェイの森」という物語は、あの言葉でしか、ありえない。


言葉によっては描きえないもの、だけど言葉にしか掬えない/救えないもの。
直接的に目の前に並べられた言葉の群れの奥に広がっている、
その領域の味わい深さ、余韻。あるいは予感、予兆。
そういうものが村上春樹の魅力だとしたら、
じゃあその「言葉によっては描きえないもの」を映像化したら
さらにそれは欠落していくのであって。


うまくは言えないがそれって日本人が日本語で考えている限りどうにもならなくて。
国境を越えた抽象的な概念としての世界市民が、
どこの国の言葉でもない汎用的な言語で捉えていくしかないもの。
それでも映像にしたいと言うのならば
「日本語以外の言葉をネイティブとする監督が日本人の役者を使って撮る」
ってことにどこか鍵がありそうで。
言葉の問題は、結局言葉で考えるしかない。言葉で解決するしかない。
映像はその過程に過ぎなくなるだろう。
トラン・アン・ユンならできそうだと、僕も思う。
これはいい企画になりそうな気がする。


日本人が日本で製作する限り、そういう撮り方は許されないんだろうな。
国民みんなが見るヒット作にしなければならないとかそういうプレッシャーもかかってくるだろうし。
それこそ、初日の動員数が「ポニョ」と比較してどうたらこうたらとか。

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そういえば村上龍も同じように映画化しにくい大御所だなあ、と。
ラブ&ポップ」みたいな例外はあるけど。
(あれはやはり「エヴァンゲリオン」の庵野秀明という変化球だったから可能だったんじゃないか)


その代わりに自分で自分の作品を監督する。
ラッフルズホテル」とか「トパーズ」とか。
でもこれらって、僕は面白いと思わなかったし
(というか何が映画として面白いのか分からなかったし)
世間一般的にも評価されているような気がしない。
プリンスがしきりに映画を撮りたがるのと一緒なのかなあ。
プリンスの映画も、(僕は見たことないですが)評価されてないですよね。
こういうのってどっか何か根っこの部分で似てるんだろうな。


と書いといて今調べてみたら「69 sixteen nine」だとか「昭和歌謡大全集」だとか、
そういえば割と映画化されてるわ・・・


あっ!
ヴィム・ヴェンダースが「イン・ザ・ミソ・スープ」を映画化のニュースを見つける。
http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d000001wt6d.html


ウィレム・デフォーが主役なのは嬉しいけど、
今のヴィム・ヴェンダースがそんな秀逸な作品を作れるとも思えず。
こちらは期待薄。