「白い馬」「赤い風船」

土曜は「ダークナイト」を見た後、
シネスイッチに移動して「白い馬」「赤い風船」の2本立て。
フランスの映画監督、アルベール・ラモリスのそれぞれ、1953年、1956年の作品。
権利の問題とかで長らく日本では再上映されなかったが、
昨年デジタル・リマスター化されてカンヌ国際映画祭で公開、そして遂に日本へ。
プログラムを見たら、公開を嘆願する署名運動があったのかな、1000人分の名前が載っていた。


「赤い風船」は少年と風船の数日間のさりげないやりとりを描いただけの短い作品。
だけどその詩的な美しさは、見た人の心の中から決して消えることはないだろう。
僕自身、「これは奇跡だ」と思った。
30分という短い時間が「純粋無垢」なまま始まって、美しいまま終わっていく。
再上映されないまま語り継がれていくうちに伝説になっていったんだろうな。
カンヌで短編部門のパルムドールを獲得、他アカデミー脚本賞始め
世界各地での華々しい受賞歴も幻の名作化に拍車をかけたのではないか。


風船との出会いがあって、楽しい時間が流れて、敵(他の子供たち)に追われて、
切ない別れの時を迎えて、ラストには全てを許すような素晴らしい幻想の世界が待っていて。
子供の笑顔があって、大人たちは時には寛大で、時には何よりも嫌な存在で。
映画の全て、描くべきものの全てがこの短い30分の中にあるよなあと思った。
過不足なくそれが「赤い風船」という1つの世界に集約していく。
触れたら壊れそうな、ささやかな世界。
何よりもあのラストシーン。
パリ中から集まった色とりどりの風船が少年の元に集まって
少年を空の彼方へと運んでいく。
映画の目的とすることの1つが
現実の世界にはありえない希望を映像の力で描くことだとしたら、
これ以上のラストはありえないよ。


風船は風船でしかありえないのに、表情が感じられるんですよね。これがすごい。
少年が手を離してもヒョコヒョコ後からついていくというのもすごい。
まるで生き物のよう。
どうやって撮ったのだろう?50年も前の映画で、CGなんてものはありえない。
単純なものを撮っているようでいて、様々な工夫とアイデアの賜物なんだろうな。
技術的な要素と、ストーリー的な要素。
例えば、少女が持っている青い風船に
少年が持つ赤い風船が惹きつけられる微笑ましいシーンとかね。
一瞬で終わるさりげないエピソードなんだけど「小さな恋のメロディ」っぽくて
もうそれだけで風船が愛くるしい存在になる。


DVD化されて、世界中の子供が見るべき。
大人もまた、見るべき。

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「白い馬」も基本的な世界観は変わらない。
少年と白い馬が出会ったというただそれだけ。
舞台がパリではなく海辺の村に変わったこと、
少年と馬が別れることなく、むしろ1つになることが「赤い風船」とは異なる。
だけど最後に幻想の国へと向かっていったというところは「赤い風船」と一緒。


「赤い風船」がカラーの美しさを讃えるものだとしたら
「白い馬」はモノクロの凛々しさを焼き付けるものとでも言うべきか。
馬の抜けるように白い肌、少年のはじけんばかりの表情の1つ1つ。
モノクロならではの照り映えるような白さ。
純粋さがそのまま白という色に結実したかのような。


牧童たちに追われていった挙句、少年と馬は海に飛び込む。
そして何の理由もなく、海の向こうの憧れの世界へと旅立ってしまう。
その先には本当に幻想の国があったのだろうか?と思うと、切ない。

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なお、「赤い風船」は映画に惚れこんだいわさきちひろが絵本にしている。
発売から40年を経て、いまだロングセラーのようだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4033040706/