「8 1/2」

長らくDVD化されていなかったフェデリコ・フェリーニ監督の名作「8 1/2
これが愛蔵版という形で復刻されて、ボーナスが出たときに買った。


日曜に見直してみた。素晴らしいね。素晴らしい。
「20世紀を代表する映画は何ですか?」って聞かれたら僕は
この「8 1/2」か「2001年宇宙の旅」って答える。


映画の全てが、ここにあるんですよ。
芸術としての映画が描くべきもの。その、最高到達点。


映画監督「グイド」がスランプに陥ってセレブの集まる保養地にやってきてウダウダ過ごす。
愛人や夫人や過去の女性たち、理想として胸のうちに秘められる女性、
その全てに回想、現実、白昼夢の中で出会う中で彼は生まれ変わり、映画を撮る意味を再び見出す。
そういう話。強いてまとめるならば、そういう話。
だからなんなの?っていうエピソードが取り止めなく続いて、ぼけーっと見てると正直、寝てしまう。
でもねえ、分かるんですよ。映画が好きな人ならば。
これら1つ1つがいかに神がかったシーンなのか。そうとしか言えない。
パブロ・ピカソの絵画がそうであるように、マイルス・デイヴィスの音楽がそうであるように、
そこには20世紀の全てがある。
フェリーニという天才が自分の美意識に基づいて無邪気に撮りたかったものを撮って、
それは知らず知らずのうちに20世紀の哲学や芸術の全てを内包するものとなった。
過去の見取り図を描き、現在を鮮やかに焼き付けて、未来を遥か先まで照射する。
一瞬の、2時間ちょっとの、奇跡。
そこから先、映画は何をしてたんでしょうね?


ラストシーン、海辺のロケット発着場。
それまでの登場人物が皆階段から降りてきて、
砂浜に作られたセットの上で手をつないで、輪になって、笑顔でグルグル回る。
この場面のいかに素晴らしいことか。
何回見ても涙が出る。
理由はよく分からない。なぜ僕がここで涙してしまうのか。
なぜ皆が輪になって回んなきゃいけないのか。
だけど僕は見るたびに、「そうだよ、映画の終わり方ってこうなんだよ」と強く納得する。
有名な台詞「人生はお祭りだ、一緒に過ごそう」そのまんま。
これって、僕らが人生に求めること、そのものかもしれない。


愛蔵版のボックスセットには、ボーナスディスクとして
失われたエンディングについてのドキュメンタリーが収録されていた。
本来、「8 1/2」は列車のシーンで終わることになっていて、撮影もなされたのだという。
白い衣装に包まれた登場人物たちが1つの車両に集まっている。
残された写真から見る限りでは、楽しそうに笑っている。
なのに、どこか虚ろだ。
誰が見ても分かるように、それは「死」のイメージだ。
我々はそこに向かうしかない。
祭りの後。我々はそこにある死に向かって日々を生きていく。
美しい幻想的なシーンなのは確かだが、やはり「8 1/2」は今あるように
サーカスの楽団が夜の砂浜を寂しげに演奏する、あれ以外にありえないな、と思った。
祭りの後がどれだけ物寂しいものになったとしても、僕らはその寂しさを生きていく。