君は他人の家のローンのためにどこまで働けるか?

君は他人の家のローンのためにどこまで働けるか?
君は他人の車のローンのためにどこまで働けるか?
君は他人の子の教育費のためにどこまで働けるか?


大企業の中で働いていくうちに見失ってしまうもの。


組織はその組織を維持していくことそのものが目的となってしまう。
部門であれ、事業部であれ。
そのトップにいるものは、言葉は悪いが、「自己保身」を考える。
そりゃもちろん、それなりに見た目のいい運営方針や経営戦略は出てくるよ?
だけどその下にすぐ透けて見えるんだよな・・・


青臭いことを言ってみても
「そうは言ってもじゃあこの半期の売りはどうするんだ?」
そんな問いかけが返ってくるだけ。
結局、言葉を飲み込んで体を張ってそこに答えるしかなくなってくる。
替わりになる売上を僕がどっからか持ってこれるわけでもないし。


いったい何のためにこのシステムを作っているのだろう?
何のためにこの PJ を続けていかなくてはならないのだろう?
発注する側がいて、受注する側がいて、そこに属しているのだからそれは当たり前のことだ。
だけど、と思う。
いつだって、「だけど」と思い続けてきた。


要するになんらかの不祥事が起こってこのシステムがリリースされないことになって、
お客さんからの支払いがなくなったというとき、そして自分の立場が危うくなったとき、
そこから先自分の家のローンが払えなくなるから困るって人がいるから、このPJが続いているのだ。
突き詰めるとその一点のために、僕らはこのPJを完遂しなければならないのだ。
何もかもが「半期の売上」を満たすことでしかない。


具体的に何が出来上がるかってことは現場に任せておけばいい。
(もしかしたら、それすら、パートナーに丸投げしろと言われるかもしれない)
大事なのは抽象的な数字。
進めていく間のリスクを管理して、スケジュールが遅延しないこと。
問題にならない程度に品質を保つこと。コストがどうかってこと。
マネジメントってそういうものだと言えばそれまでのことだ。
だけど、何か大事なものを見失ってないか?
そこに組織としてどんなビジョンが生まれるというのか?


これって要するに、サラリーマンがサラリーマンとして仕事してて何が悪いって話なんだろうね。
その時々の与えられた役割をこなせばいいっていうだけの。
増えていくのはサラリーマンSEばかり。
そしていつのまにか僕もそうなっていた。


いや、全員が全員それでいいと考えているわけではなく、
心の片隅には「これでいいのだろうか?」という疑問がある人だって大勢いるんだと思う。
だけどそういう人たちも日々の忙しい仕事の中で、いつしか大企業の論理に飲み込まれていって・・・


こんなふうに考える僕は、いまだ子供なのだろうか?
・・・子供なんだろうな。
そんな僕には車も家も家族もない。


だからまだ、やり直せるのだと思う。


僕は他人の家のローンのために働くつもりはないし、
他人の車のローンのために働くつもりもない。


以上。

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追記。


ずっと、「ボタンが掛け違ってる」となんとなく思っていた。思い続けてきた。
でも、「服は寒さがしのげりゃいいし」ぐらいの気持ちで、ほっといていた。
「人目を気にしても」とかさ。


それがある日ふと、気付いた。「ボタンが掛け違ってる!!」その居心地の悪さ。ぞっとした。


「小説を書きたいから、その時間が欲しいから」という理由で会社を辞めようとしたことがある。
だけどそれは他の会社に移ったところでなんかの解決になるわけではないから、踏みとどまった。
今回は違う。


「食ってくために割り切って働こう」そう思おうとした時期もあった。
でもさ、それって、自分が惨めになるだけなんだよ。
働くなら、どんな些細なことでもいいから目的とか理想があったほうがいい。
今の会社にはそれがない。あるんだろうけど、僕には共感できない。価値観の向かう先が全く違う。
・・・ここに未来はない。


そういうこと。
気付くのが遅すぎたよ。


どこに行ったところで多かれ少なかれ
他人の家のローンのために働くことになるんだろうけど。


それでも。