「1975年1月1日生まれ」というコミュニティ

だいぶ昔、mixi に「1975年1月1日生まれ」というコミュニティがなかったので作った。


一応管理者ということになっているのだが、何をするわけでもない。
オフ会を開くどころか、トピックすら立てない。完全にほったらかし。
なのに、2・3ヵ月に1人ぐらいの割合で少しずつ少しずつ参加者が増えていって、
結構な人数になった。60人ぐらいだったか。
(正確な数は、もちろん把握していない)


足跡代わりなのか、みな、「参加しました」的トピックに
簡単な自己紹介がてら名前を残していく。
だけどそれ以上のことは何も起こらない。
僕は管理人として一応なんか返答するんだけど、
1975年1月1日生まれという以外に特に共通点がないため、なんとも書きようがない。
「いやーあなたもですか、珍しいですね!」という気持ちはみんなあるのに、
それがどこかに結びついたりしない。
「いやー、そうかそうか」でその瞬間自己完結して、終わり。
ああ、こういうコミュニケーションの形態もあるんだな、と思った。


管理人を誰か他の人に引き継ごうと考えることもあるんだけど、
集まってる人たちと日々仲良くしているわけではないため、頼むに頼めない。
引き継いだところでなんか楽しいことがあるのでもないし。
それでいて「なんとなく公共」という性質が性質なのでいきなりつぶすのもなんだなと。


結局、「減るもんじゃなし」とそれっきり。
時々ポツポツと生体反応があって、かろうじて生き延びている。


人はいったい何を求めてこういうコミュニティに参加するのだろうか?
ちょっと覗いてみれば活発な交流が行われていないこと、すぐに分かるのに。
不思議なものである。
そこはかとない一体感を求めているのだろうか?
それとも一種のジョークなのだろうか?
もしかしたらそのうち何かが起こるのかもと待っているのだろうか?
待ち続けて、忘れて、それっきり。
そんな感じがする。


他にもこういう生年月日が全く同じ人たちのコミュニティってたくさんあるはず。
それぞれどんなふうになっているのだろう?
盛り上がってたりするのだろうか?
盛り上がってるのなら、そこでは何が行われているのだろうか?
何が話されているのだろうか?


知ってる人たちだけで内輪の非公開のコミュニティを作ったら楽だけど、
こういうオープンなコミュニティの管理って難しい。
今更ながらそんなことを思う。


基本的に僕はその場の思いつきでコミュニティだのグループだの作って、
後はほったらかしな人間である。
作り終わった瞬間、満足するという。
そういうのがあちこちに残っている。
いつかはきれいにした方がいいんだろうな。