執着しない生き方

最近、「執着しない」生き方に憧れている。
言うのは簡単だけど、実際は難しい。


実践するのが難しい、という以前にそもそも、「執着しない」ってなに?どういうこと?
あなたは自分の言葉で語れますか?


例えば、「勝ち負けに執着しない」


これって、めんどくさかったり興味がなくて
「ああ、いいっすよ。ビリでも」と言ってみたりする。
そういうことじゃないですよね。


そうじゃなくて、やれるだけのことはやって、自分の力を出し切って、
そこから先のことは清々しく自分自身の膠着する利害関係から切り離してみる、
一歩引いた立場から客観的に眺めてみる。
そんなことじゃないか。


とは言ってみても、なかなかできないですよね、普通。


表現することで言うなら、こういう境地に達したときに初めて、
1つ上のステップへと進んだと言えるのではないか?
目先の勝ち負けとか、売れたとか売れないとかそういうのに汲々しない、
揺ぎ無い視点、揺ぎ無い感性。
ただ、伝えたいこと、今、自分から出てきたことだけをそこに残す。
人として、そこに出し切る。


そんなふうに、なれたらいいなと思う。


素直に、書きたいことを書く。
要らないものは捨てる。必要だったら、心をこめて大事にする。
そのときたまたま出会った昼食や夕食を「あーおいしいなあ」と思って食べる。
もっと言うと、ふと見上げたら「夕焼けがきれいだなあ」とか。


そんな生き方。


邪念が多すぎて今の僕には全然遠い。遠すぎる。


ただ、思ったことを書けばいいのではなく、
やたらめったら物を捨てればいいのではなく。
そのメシがまずかったらどうする?
意識して夕焼けを見て、作為的に何かを思って。そんな自分に飽きて。
夕焼けを見ても何も思わなくなる。
うまいものを食べたくて、高い金を払えばそれでいい、となる。
なんだかんだ言い訳して物を捨てない。
ただ、ウダウダと何も考えずに書く。


ああ!それじゃだめだ!!
と思った2009年、冬。34歳。


まずは、条件反射で行動するのがよくないんじゃないか?
もっと、考えること。もっと、想像してみること。