名古屋出張+大阪出張(大阪編)

続き。
新大阪から地下鉄の御堂筋線に乗って、お客さんのオフィスのある淀屋橋の駅へ。
出口がたくさんある。いつも僕は最短距離となる出口から地上に出ていた。
その話をすると、「だめだよオカムラさん、そんなんじゃ」とたしなめられる。
「もっと大阪を歩いてみないと」


そんなわけで、いつもとは反対側の出口に出る。
川が流れていた。そしてそこに掛かっていた橋が、淀屋橋だった。
向こう側には市役所の赴きある建物が建っていた。
その反対側には、日本銀行の大阪支店。
川の袂には掘っ立て小屋(と言ったら失礼か)のような飲み屋があった。


歩いていると、緒方洪庵の開いた「適塾」という屋敷があって、入ってみる。
重要文化財に指定されている。江戸時代末期の蘭学の塾らしい。
僕はこの緒方洪庵という人を全く知らなかったが、医学者にして、当時の蘭学の第一人者とのこと。
その塾からは福沢諭吉をはじめ、橋本佐内、大村益次郎佐野常民らを輩出。
この塾が後々、大阪大学医学部へとつながっていったという。


慎ましい、町人の屋敷。
入場料を払って中に入り、襖を開けるとわずかばかりの庭園が広がっている。
急な階段を上って二階へ。広間があって、塾生たちはここに寝泊りした。
1人1畳の広さしか許されず、週に1回成績順にどの場所を取るか決めていったという。
運が悪いと、夜中踏んづけられることになる。
真ん中に柱があって、刀で切りつけた跡がリアルに残っている。
いくら学問を志して集まったとはいえ、幕末を前に血気盛んな若者たちばかり。
熱い議論を交わすことも多々あったことだろう。
もしかしたら、彼らは藩で一番の秀才であって、
藩を代表して、藩を背負って、ここで学んだのだ。
学びたい、もっと学びたいという強い気持ちが
部屋のあちこちに木霊して、声なき声として果てしなく残響しているような気がした。


ガラスのケースの中に解体新書が飾られていた。
もちろん、初めて見た。

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打ち合わせを終えて、東京出張組4人で阪神デパートの地下のフードコートで軽く打ち上げ。
お好み焼きの店に入るが、僕は昼から腹いっぱいで生ビールだけ。


19時を過ぎて、解散。
僕はタワレコに行って、探していたCDを買う。
豊田道倫面影ラッキーホールの新作。
前回の出張のときに見かけていたけど、お金がなくて給料日まで待つことにした。
東京のHMVで探すと、なぜか見つからない。


帰りの新幹線の中で読む本を買おうとBook 1stに行きたかったんだけど、時間がなくて諦める。
地下のどこかに紀伊国屋書店があったはずだと歩き回る。
ほろ酔いだったので道が分からなくなり、これまた諦める。
新大阪の駅に大きな本屋系キオスクがあって、
読みたいと思っていた寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」があった。


ものすごく腹いっぱいだったのに、
それでも蓬莱軒のシュウマイを食べてしまった。


帰りの新幹線はお客さんと一緒になり、車両を隣り合わせる。
飲んでたところを連れ出され、今後のことを打ち合わせ。
東京に着いて、お客さんはそのままオフィスへ。
僕はさすがに帰った。


今回が5回目の大阪出張になるのかな。
さすがに、大阪にも慣れてきた。
次来たときは自腹でもいいから、一泊しようと思う。