「情報の歴史」から見る、1975年

先日、編集学校から「20破」の教材が届いた。
一昨日7日の夜で勧学会
(教室ごとに用意された、連絡用の掲示板みたいなオープンスペース)
もクローズされて、「20守」は完全に終了。
来週、16日から「20破」が始まる。
息つく間もない。
というかよくできてるよね、流れが。


届いた教材の中に、自分の生まれた年の「情報の歴史」のコピーが入っていた。
(恐らく)文明の誕生から1990年代に至るまでの、一大年表絵巻。
これ、現在入手困難なんですね。
amazonマーケットプレイスでも在庫がないみたいで。
http://www.amazon.co.jp/dp/4871884430/


中世なんかは確か10年区切りとかだったと思うけど、
現代になってからは見開き2ページで1年となっている。


1975年そのものの表題は「環境の変貌」とある。
「遺伝子情報が新品種をつくり、社会が生物学に膝まずく。
 でも、世の中そんなにうまくいくのだろうか」
アメリカに菜食レストラン、日本に有機農法
 オルタナティブ・テクノロジーがゆっくり浮上する」
そして、ビル・ゲイツの言葉が引用される。
「生産性向上のために能力あるハードウェアをつくる必要はなくなった。
 今や革命とはソフトウェアのことである」


そして具体的に年表としては、縦軸が月、横軸が5つのカテゴリー。
アメリカの疲労」「半導体と電脳」「ソフト・サイエンス」「モダンの解体」「新幻想派」
かなり恣意的な区分になっている。
普通、こういうのだと、共通的に
「政治」「経済」「スポーツ」「芸術」「事件」みたいなものにするんだけどね。
こういうところがまずもって、編集工学っぽい。
時代の潮流は実際どうだったのよ?ってのに切り込んでいく。
「政治」・・・、みたいな機械的なカテゴリー分けでは単なる出来事の羅列になって、
多くのものが、特にその当時ダイナミックに蠢いていた関係性の網のようなものが
抜け落ちてしまうんだろうな。
たぶんこの5つはその年によって違うんだと思う。
というか、1975年ってどんな年だったのか?
っていうとこの5つのキーワードで語られる年だったということになる。
(裏を返すと、このカテゴリーから抜け落ちるもの、1975年的ではないものがあるわけで、
 それに思いを巡らせるというのが高度な読み方になるのだろう)


カテゴリーの中はさらに見出しで分けられる。
アメリカの疲労サイゴン陥落(南ベトナム解放) / 女性ゼネスト(米)
半導体と電脳」コンピュータ仕事量一秒一億 / コピー文書最高裁認定
「ソフト・サイエンス」遺伝子工学アロシマ会議 / 社会生物学 / ゴルツ、ローザック、カプラ、クリップナー
「モダンの解体」パターン・ペインティング / ピーターウィアー / 新ロマン主義
「新幻想派」ル・グィン / チープシックとカシオ電卓
こうして並べてみると、この5つのカテゴリーも奇抜なものじゃなくて、
具体的にそれらしくなってくる。歴史が見え始める。


月はカテゴリーごとに、A群からE群へと区切られる。
(もしかして縦軸は月じゃないのかも)


という中に具体的に出来事が並べられていく。
アメリカの疲労」 4/17 カンボジア民族統一戦線、プノンペン陥落
半導体と電脳」 C群 32Mバイトの光通信システム(日電)【日】
「ソフト・サイエンス」 D群 バフチン「文学と美学の諸問題」【ソ】
「モダンの解体」 E群 シノポリ、指揮者としてデビュー【伊】
「新幻想派」 A群 マルケス「族長の秋」【コロンビア】
ドリルダウン的に情報が整理されているので、たどりやすい。
個々の事象の位置づけを把握しやすい。


こんな具合。1975年という年を編集していく。
眺めてるといろんな閃きがあって面白い。
自分の中でもあれこれ関係性を見つけ出すことができる。
それまで周辺とされていた地域の紛争が国際社会に大きな影響を及ぼし、
それまで周辺とされていた領域の科学が脚光を浴びる。
文学も越境するか境界をぼやかすかで拡散していく。とかね。
そんでそれがなぜそういう動きなのかって
鶏が先なのか卵が先なのかって話だけど、
力強い意思を持つ主体が歴史を形作っていくのではなく、
その外枠にある器、ここでは「環境」というものが歴史を動かし始めたのだということ。
もっと正確に言うと、それは昔からそういう働きだったんだけど、
その作用が「発見」され、明確に語られだしたのだということ。


いや、ほんと知的好奇心をかきたてられるね。
守から破へ。知の冒険をさらに分け入っていく。


「情報の歴史」どうしても欲しいなあ。
そもそも、地図を見るのって楽しいじゃないですか。
そういう感覚で歴史を眺めるのって面白そう。
見るたびに気づくことがあって、一生飽きないと思う。