ビジネスホテルフェチ

昨年末より大阪出張することが多くなり、ビジネスホテルにも何回か泊まった。
それで気付いたんだけど、僕、ビジネスホテルが好きかも知れない。
というか、好き。


ビジネスホテルに泊まるとなると、いまだにワクワクする。
「いつもと違う場所に泊まる」という状況がそうさせるんだと思う。
でも、旅館や高級なホテルじゃないんだから
普通の人だったら1回や2回泊まればもう十分、何の感慨も沸かなくなるに違いない。
それがそうならないというのだから、これはもうフェチと呼ばざるを得ないだろう。


何もなくて、没個性というのがいいんだと思う。
快適かというと特にそんなことはない。
余計なものが何もない=快適という理念に基づいて
ビジネスホテルという空間は成り立ってるんだろうけど。


例えば、壁には必ず小さな額が飾られている。
当たり障りのない題材を選んだ、
写実的でも抽象的でもない適度に「絵画」的な風景画や静物画。
掛けられた壁も無地ということはなく、
線が並んで凹凸がつけられているとか幾何学的な模様が描かれている。
こういうのが返って、没個性的な印象を生み出す。


きれいに整えられたベッドに寝そべって何もない空間の中に身を置いたとき、
自分という存在もまた個性がなくなっていくように思う。
それがなんか妙に安らぐ。どことなく素の自分に戻っていく感覚がある。
無防備で、無遠慮な感覚。
特に何か深く哲学的な思索にふけることはなかったとしても、
知らず知らずのうちに自分を見つめ直す・洗い直す作業の中に移し替えているのではないか。


何をするわけでもない。
缶ビールを飲んで、本を読んで、寝るだけ。
気が向いたらテレビをつけることもあるけど、結局すぐ消すことになる。
有料テレビを利用することもないし
(どっちかというと理由は、早送りや巻き戻しが自分の都合でできないのがうっとうしいから)
もちろんマッサージを呼ぶこともない。
自分にとって何か特別な時間の過ごし方をしている、ということはない。
だけど、そういうときにこそ、
何気ない物事を行う何気ない瞬間というものがはっきりと意識に浮かび上がってくる。


10時にチェックアウトすることになっていてあと10分あるんだけど
とりたててすることがないというときの過ごし方。
靴を磨くとか、財布の中の要らないレシートを捨てるとか。
手持無沙汰でぎこちない、そんな時間が僕は好きだったりする。
電気ポットでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れたとき、
そのコーヒーの味についてわざわざ考えてみる。


夜と朝と小さなユニットバスにお湯を張って、うずくまるようにして風呂に入る。
髪を乾かしてベッドに身を投げ出す。
有料テレビのチャンネルガイドに映っているAV女優を眺める。
僕はもう年を取ったのか、どの子もみな同じに見える。
おんなじような笑い方をしている。
夜、眠っていると何度か目を覚ます。その度に無機的な空調の音を聞く。
耳を澄まして、窓の向こうの街の音を聞こうとする。
車が通りがかる。誰かが誰かと話し合っている。


時間が過ぎていく。
眠っているうちに、やがて朝になる。
僕は着替えて、荷物をまとめて、一晩泊まった部屋を後にする。
また同じホテルの同じ部屋に泊まることは、恐らくない。
もし仮に同じホテルの同じ部屋に泊まることがあったとしても、特に何の感慨もない。
どのホテルのどの部屋も結局は一緒なのだから。
それ以前に、僕自身が気付くこともない。


消えてしまいたくなる。
そんな願望を人は抱かないだろうか。
僕は時として、ふっと消えてしまいたくなる。
今、僕の日々の生活の中で、ビジネスホテルの部屋ってのが
その向こう側の入口に最も近いんだろうな。
そこに一晩身を浸して、僕は僕の日常に戻っていく。


ビジネスホテルに泊まったその一晩、
僕は透明になって、この世界から行方をくらましているわけだ。