入寮日 その1

先週の4月1日、18時頃、東京駅の地下街を歩いて山手線に乗った。
駅の構内も電車の中も初々しい新入社員たちばかりだった。
学生と社会人との間で揺れ動いている独特の空気を身にまとっていて、すぐ分かる。
会社で配られた冊子やマニュアルなどを入れた地味な紙袋を抱え、
「周りも結構寝てたよねー」なんて話している。


入社式のことを最初書こうかと思ったんだけど、
あんまりたいして書くことがないことに気づく。
世間一般的な入社式と特に何が変わるわけでもない。
なので僕の人生にとってもっとインパクトのあった、大学の入寮日前後について書くことにする。
長くなりそうなので、数回に分けて。

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忘れもしない、1993年4月2日。上京。
前の日の夜、青森駅から寝台特急に乗った。


(確かこのとき、近くの女子大に通うことになった子と駅のホームでばったり会った。
 共通の友人がいて、近くに見送りに来ていた。
 3人で少しばかり話して、じゃあってんで別れた。
 その子とは1年後、寮の近くのカラオケ屋で再会する。
 その子がバイトで働いていて、僕らは寮生の集まり、ガラの悪い客だった。
 今度飲もうよ、と言い合って、でも結局飲むことはなかった。
 1度電話でやりとりして、いついつの、となったんだけど、何かをきっかけに流れた。
 4年の秋、その子の通う女子大の文化祭に行ったら、またばったりと会った。
 4年の間に、驚くほど垢抜けていた。
 向こうから声を掛けられなかったら、気がつかなかったかもしれない。
 その後、会ったことはない。今どうしているのか、消息を全く知らない。
 思い出そうにも、名前が出てこない。薄情なものである。


 話は変わるが、この日、部屋の中のエロ本の類を駅のゴミ箱に大量に捨てた)


寝台特急の中で何を読んだのか、何を考えたのか、今となってはちっとも思い出せない。
もちろん、酒びたりの今とは違って、缶ビールを飲んだりもしない。
これから始まる大学生活、そして東京の生活にワクワクドキドキしつつも、
いろんなことが心配で不安だったのではないか?
友達はできるのか、とか。
そこから話が広がって、これから先の僕はどんな人に出会うのか、とか。
勉強についていけるのか、バイトは見つかるのか、恋人はできるのか。
列車が揺れる。小さな窓の覆いを開ける。
今、どこを走っているのだろう?
真っ暗な中を建物が通り過ぎていく。その明かりが見える。


上野駅で下りて山手線に乗って、そして中央線に乗り換える。
これまでの僕は東京という街を外から眺めていた。
何年かに1回訪れる、ただの観光客だった。
それが今日からはこの街の人間として、内側から眺めることになるのである。
緊張したと思う。
僕は東京に受け入れられるのか。
その時の僕は、青森から出てきたばかりの田舎者に過ぎない。
それが見る人には見えちゃうのではないか。
ああ、あいつ、と分かってしまうのではないか・・・
言葉を発すれば津軽弁となるから、口を開くのが怖かった。
新宿駅の広い構内で迷ったとしても、誰にも何も聞けない。


中央線を西に進んでいく。
少しずつ、街並みが穏やかになっていく。
荷物はダンボールに詰めて寮に送ってある。
僕は転出届だとか大事な書類の入った肩掛け鞄を両腕に抱えて、
そうだ、合格のお祝いに母から買ってもらった革ジャンを着ていた。


私鉄に乗り換えて、一駅。小さな駅だった。
僕は別のキャンパスで受験したから、この駅で下りるのは初めてだったと思う。
合格手続きの日に寮の人からもらった簡単な地図を手に、大学に向かって歩いていく。
やがて木々に囲まれた一角が視界の外れに広がって、それが少しずつ大きくなる。
門をくぐる。守衛の人が立っていたけど、何も言われない。
2階建ての校舎があって、その向かいに生協の建物があった。
柱や壁、あちこちにサークルの新勧のビラが貼られていた。
オレンジの紙、キミドリの紙。
色とりどりで、それが斜めになって、はがれかけて、
誰かが貼った上をさらに別の誰かが貼り付けて。
僕は立ち止まってそのいくつかを眺めてみる。
テニスサークル。野球やサッカー。天文部。写真部。
僕はどれに入ることになるのだろう?
練習帰りなのか、揃いのジャンパーを着た男女が籠にあれこれ詰めて通り過ぎる。
少ししか違わないはずなのに、僕にはかなり年上の大人に見えた・・・


大学の敷地の奥まったところに寮があって、その手前に噴水があった。
水は淀んでいて、いろいろなものが投げ捨てられていた。
(この噴水が、その後の寮生活のメタファーとなる)


寮の入り口をくぐる。
なんかの係りの人なのだろうか、机と椅子を出していて、
ようこそ!○○寮へ!と挨拶をされる。僕は怯えたように挨拶を返す。
名前を聞かれて答えると、名簿を参照する。
係りの人は玄関脇の小さな部屋に入って、寮内に放送をする。
「北2Aに新入寮生が到着しました。在寮生は迎えに来てください」


待つこと数分。どんな人たちが来るのだろうとビクビクしながら、
僕は玄関に突っ立っていた。
やがて廊下をバタバタと連れ立ってサンダルで歩く音がして、「先輩たち」が現れた。


(続く)