青森帰省その2

okmrtyhk2009-05-04


母と2人、バスに乗って浅虫温泉に行くことになっていて、そのために早起きする。
6時半に起こされる。
アスパラガス、タマネギ、パプリカの炒め物、目玉焼き、茹でて温めたソーセージ。
食べ終えて母の洗う食器を拭く。家中に掃除機をかける。


8時半前に家を出て、母と共にバス停へ。
母の登山仲間の方と一緒になる。
目の前を、僕と同じぐらいの年の髪の短い女性が通り過ぎる。音楽を聴いている。
「ほら、今のあの人、小説を書いていて、この前青森県の賞を取って本を出したのよ」
バスに乗って、僕はその女性を観察する。木材港の辺りで下りていく。
隣に座る母が窓の向こうを指差す。
「変わったでしょ、ここ。大きいのができたでしょ」
見ると、巨大な更地の上に1階建ての平べったいホームセンターができている。
ここには昔、何があっただろうか?思い出せない。


古川を過ぎて、市役所の前で下りる。
ゴールデンウィークとはいえまだ朝の9時だったからか、人通りはほとんどない。
バス停のベンチに座るのは市民病院行きか県病行きのバスを待つお年寄りだけ。


1時間に1本の浅虫温泉行きに乗る。
ほとんど乗客はいない。
浅虫温泉が寂れているのではなくて、
青森では誰もが普通、自家用車を運転してバイパスを東に西に移動するからだ。
堤橋を渡って、合甫公園、そして県病。
市街地を抜けて、海沿いの集落をバスは走る。
川の中に足場を渡したものがいくつもあって、あれは養魚場や釣り場の類なのだろうか。
テレビ局が取材に来ていて、40代ぐらいの男女がインタビューに答えていた。
きっと何かが解禁になったのだろう。


斜め前の2人掛けの席に女の子が座っている。
下は PUMA のウェア、上はなんだったか忘れた。
OUTDOOR のピンクの皮のダッフルバッグを肩に掛けていた。
最初僕は男の子だと思っていた。無造作に短い、黒い髪。
猫背になって iPod か何かで音楽を聴いていて、それを操作しているか、携帯でメールを打っていた。
ふとした瞬間に、いや、女の子だと気づく。女子高で1年中バスケをやってるような。
女の子はとある田舎のバス停で下りていく。
普段高校の近くに下宿していて、家に戻るところだったのか。
帰りのバスでまたこの道を通ると、同じ停留所からこの子がまた乗ってくる。


山沿いを走っていたバスが、また海辺へと下りていく。小さな港に漁船が停まっている。
久栗坂のトンネルを過ぎて、浅虫の温泉街へ。
市役所前の停留所にて、
「2日から6日まで混雑が予想されるため浅虫水族館までは行かず、浅虫温泉駅で折り返す」とあった。
駅が終点となる。
下りて母と歩き出す。
棟方志功が逗留したとして有名な「椿館」へまずは行ってみる。
石碑があった。「浅虫へ 海も山も温泉も」と彫ってある。
恐らく、棟方志功の版画を元にしたものなのだろう。
同じ図柄の、色褪せたポスターが店先に貼られていたのをあちこちで見かけた。


椿館の近くに、足湯があった。帰りに寄ることにする。
その隣に温泉玉子を作るための専用の湯があって、中には金網に入った玉子が10個ほど茹でられていた。
看板には浅虫ではなく、「麻蒸」とある。
この地域一帯の由来として、麻を蒸すために温泉を使っていたからだとか。


歩いているうちに公園の入り口を見つけて、上っていく。
公園と言っても、全てが山の中。山道を上り下りして自然散策を楽しむ。
少し上がると、松林に囲まれた小さな展望台に出た。
浅虫の小さな町を見下ろす。へばりつくように温泉街が広がっている。
その向こうは陸奥湾。半円型をした湯の島という小さな無人島がムクッと浮かんでいる。
赤い鳥居が海辺から顔を覗かせている。
母の説明では、4月はカタクリの花がきれいで、その時期だけ島までの船が出るのだという。


「赤松巨木」と書かれた標識を見つけ、見に行くことにする。
進むうちに完全に山の中。木々はまだ葉をつけず、枝ばかりの野ざらしのような山。
それでもあちこちに鳥の囀りが聞こえ、
足元はつやつやとした緑を一身に湛えた草花がちらほらと。
母は立ち止まり、これはなんであれはなんでと指し示して教えてくれるが、どれも覚えられず。
緩やかな山道をひたすら上り続けて(それでも200m程度)、下りへ。
登山が趣味の母は僕の後ろを歩いて、
「膝をちゃんと曲げて」「足の裏でしっかりと地面をつかんで」とそればかり。
「山を登って足が棒になるっていうのは、膝を曲げずに歩くからだよ」
「若い頃から登ってる人は、力だけで登っちゃうから、お母さんぐらいの年になると膝をだめにする」


上り下りを繰り返した末に、赤松の巨木へ。ロープが張られていて、ある程度以上近づけない。
幹が根元で3つに分かれている。それが頭上かなりたかくまで伸びている。
ロシア語の文字で言うと、「Щ」みたいな感じ。「もののけ姫」に出てきそう。
樹齢700年というのは日本でも2番目に古いのだそうな。
「全国巨木百選」にも選ばれている。


来た道とは別なのを通って、下りていく。
目の前に浅虫ダム(蛍湖)が広がる。堰止湖。平成14年にできたのだという。
入り口に木を掘って作ったカブトムシが飾られていた。
浅虫の彫刻家、鈴木正治の作品だと言う。
その後歩いていて、あちこちでその作品を見かけた。


温泉街へと向かう。
あちこちに擁護ホームがあって、母は
浅虫のホームに入ったら温泉もあるし大きな病院もあるし、いいみたいねえ」と言う。
僕は何も言わない。何も言えない。


浅虫に住んでいた画家、小館善四郎が晩年住んでいたという家に差し掛かる。
知らなかったら絶対気づかない、ごく普通の一戸建て。
数年前に亡くなっている。


海辺に出て、海水浴場を歩く。
海釣り公園で何人か、釣竿を柵にもたせかけている。特に誰か釣れているというのではなさそうだ。
天気がよくて、絶好の行楽日和。駐車場はどこもいっぱい。
道の駅「ゆーさ」をちょっとだけ覗いて、浅虫観光ホテルへ。
この界隈で唯一、海沿いに建てられている。


歩道を歩いていると、鈴木正治氏の作品にいくつか出会う。
その中の1つは、母曰く「小学校の椅子を大きくしたもの」
まさかと思ったら本当にあった。見上げるような巨大な椅子。
僕が小学校の頃はまだ、机や椅子が木造だったことを思い出す。
あちこちに穴が開いていて、ガタガタしていた。


11時になって、ホテルの中へ。
10階の展望レストランのバイキングと入浴料がセットになって2000円。安い。
安いってことはまあ、それなりってことなんだろうけど。
さっそく温泉に入る。
3階にあって眺めがいい。展望露天風呂。
客はほとんどいなくて、途中から僕一人になる。
木枠の浴槽の温めの風呂と、大浴場の熱い風呂と交互に入る。
目の前に陸奥湾。湯の島。その前を小さな漁船がポンポンポンと進んでいく。
青空。白い雲が少しずつ形を変える。
遠く向こうに真っ白な岩木山が見えた。
露天風呂としては、青森髄一の眺めだろうな。


10階の展望レストランへ。
風呂上りなので生ビールを飲む。
青森は桜祭りのシーズンってことで焼きそばにたこ焼き、屋台風のメニューが多かった。
その他のメニューを書き出すと、
ローストビーフ特製黒にんにくソース、春キャベツとサーモンのオレンジマリネ、
モロヘイヤとトマトの冷たいスープなど。
こう書くとおいしそうだけど、まあたいしたことなし。
そもそも浅虫って料理がおいしいというイメージがない。
海辺に近いからといって、刺身がうまいわけではない。
これって、すぐ近くに漁港がないからだと思う。
たぶん、青森市か平内町から運んでくる。
たいした距離じゃないけど、印象としての鮮度は下がる。
まあ2000円で入浴料込み、に文句を言ってもしょうがないか。


青森名物として最近県内外で注目を集める生姜味噌のおでんがあって、これは懐かしかった。
青森で育つと味噌おでんに生姜を入れるのって当たり前だと思うんだけど、
これって青森だけなんですね。
ここに来て急にご当地グルメとして脚光を浴びる。


10階から見下ろすと、砂浜の上にビーチバレーのコートが3つか4つあって、
その中の1つで高校生ぐらいだろうか、男女入り乱れてビーチバレーで遊んでいた。
隣のコートでは若い男性が芝刈り機みたいなのを押して、砂をならしていた。


ホテルを出て、道の駅「ゆーさ」へ。
会社へのお土産を買って発送する。当たり障りないお菓子を選ぶ。
ちょっと高かったので選ばなかったけど、カーリングをモチーフにしたお菓子があった。
あと、ホタテのせんべい。
この「ゆーさ」は「るるぶ」の選ぶ青森県の道の駅で1位を獲得したのだという。
隣は市場。外はテントが張られていて、ホタテの串焼きを売っていたり、ひば細工を売っていたり。
テーブル席は満員で、家族連れがおでんや焼き鳥を食べていた。大賑わい。
なお、ここのフードコートの名前は「わさも」
なるほどなあ、と笑ってしまう。いいネーミングだ。
英語にしたら「Give me too.」


帰りのバスの時間まで時間があったので、朝見かけた足湯へ。
小さな子供を連れた家族が
「玉子まだできていないかなあ」と子供たちはそっちの方が気になって仕方がなく。
足湯と温泉玉子と行ったり来たりする。
足湯、開いているスペースを見つけて入る。とても気持ちいい。
もしかして生まれて初めての足湯?
これは癖になるなあ。東京にもあったらお金を払って利用しそう。
というか自宅用の足湯セットみたいなのがあったら欲しい。本を読むときに足湯。


バスはお年寄りばかり。
浅虫温泉は観光地なので、湯治というイメージはなく。
それでもバスもただだしってんで入りにくるんだろうな。
(青折で湯治っていうと酸ヶ湯温泉とか)
直射日光が眩しく、窓を開けると冷たい風が入ってきて、風呂上りには気持ちよかった。


青森駅行きだったので市役所前で下りて、西部営業所行きに乗って古川へ。
野木和団地行きは出てったばかりで30分待ち。昨日と全く同じ時刻で全く同じ展開となる。
国道を挟んで向かい側の喫茶店に入ろうと母は言う。
「珈琲舎」という名前だったか。小さな、味のある佇まいの店。
マスターは京都の店で修行したのだという。青森市の文化人が数多く訪れる。
拾円札や百円札がカウンター頭上に飾られていた。
ガテマラやスマトラなどたくさんの種類の豆が置いてあった。
東京も最近こういう店が少ないよなあ。
おしゃれで雰囲気のいい店は増えても、味のある店ってのはなかなか生み出せるものではなく。


バスに乗って帰ってくる。
なんだか疲れている。
妹の部屋にあった「マタイの受難曲」と、「アンダーグラウンド」のサントラを聞く。