ダイアログ・イン・ザ・ダーク(その3)

バーがあるので行ってみましょう、とアテンドの方は言う。
緩やかな坂を上って、手すりのある1段だけの階段を下りて、
(たったこれだけのことでも、怖くなる)
バーの前の広場?へ。


ここでひとまずゲームをしましょうってことになる。
全員で輪になって、手を握って(暗闇の中で誰かの手を握るというのは不思議なものだ)、
こういうゲーム。
・全員で1から21まで数字を言う、21まで言えたらOK
・数字は誰がいつ言ってもいい、順番はない
・ただし、自分がある数字を言ったら、その次は言わないこと
 (つまり、僕が「11」と言ったら、僕が「12」と言ってはならない、誰か他の人が言うのを待つ)
・数字を言う声が誰かと重なり合ったら、NGでイチからやり直し


これが単純なようでいて、案外難しい。
でも、僕らは1回失敗しただけで2回目ですんなりクリアした。
間合いが計れるようになると、スラスラいけるようになる。
全員の呼吸が合うというか。
暗闇の中で輪になって1つのことを行おうとすると、自分の呼吸を他の人と合わせるようになる。
そこに集団としての一体感が生まれる。
エントランスにて企業向けの研修としてこのダイアログ・イン・ザ・ダークを利用しませんか?
と案内のポスターが貼られていたのを思い出す。あれこれ書かれていた中で
PJチームを組んだばかりでまだまとまっていない場合に有効、とあった。
そのときの僕はなるほど、と納得した。
もっとも、アテンドの方は、いくらやってもうまくいかないグループもありますよ、とのこと。
打ち解けられなかったり、緊張したり、ダイアログ・イン・ザ・ダークというものに混乱していたり。
そういう人もいるだろう。


バーの中へ。名前は「バーくらやみ」そのまんま。
バーテンダーの方がいて、手を引かれて席に案内される。
(恐らく8人掛けの)テーブルがあって、椅子を引いて座る。
飲み物をどうぞってことで、他の人はみなグレープフルーツジュース
アルコールもありますよと、もう1人の方がワイン、僕はビール。
バーテンダーの方がグラスに慣れた手つきでジュースを注ぐのが聞こえる。
なんで暗闇の中でそう易々とできるのだろう、と皆驚く。
こぼしたとか、注ぎ過ぎたとか、そういうことは全くなく。
その後、それぞれ頼んだ人のところへ間違うことなくグラスが運ばれてくる。
ビールが最後に出てくる。
よく冷えたグラス、シルクのように細かな水滴が感じられるほどのグラスを手に持たされて、
缶を開ける、プシュッという音。
グラスにゆっくりと液体の注がれるコクコクコクという音。
炭酸が泡となって沸きあがる音。
その一つ一つ、これまでの人生で何度も聞いてきたはずの音が、
どれもはっきりと、瑞々しく感じられる。


皆で乾杯をする。こぼすことのないように低い位置で手を伸ばして、グラスをぶつけ合う。
位置を教え合うために、グラスでテーブルの上をコンコンと叩く。
海苔巻き煎餅を隣の人に手渡しする。
ビールはもちろん、おいしかった。爽やかなコクと苦味。その冷たさ。
泡の一つ一つが喉元を通り過ぎていく。
最近の僕はビールを味わっていなかった、と気付く。
そのおいしさを忘れていた。酔っ払える清涼飲料水ぐらいにしか思っていなかった。
そうじゃないんだよなー。
もっと飲みたかったけど、酔い過ぎないようにというためか、
グラスに注がれたのはほんの少しだけ。残念。


バーテンダーの方が後ろで洗いものをしている中、僕らはあれこれと雑談をする。
とある方が、長野の善光寺の地下にこういう暗闇の通路があって、進んでいく、
鍵を探して、見つけることができて触れるとご利益があるという話をする。


バーを出る。
暗闇の中でアルコールを取ると酔いやすいのではないか。
これから先大丈夫だろうか?と思っていたら、ツアーはここで終わりだった。
アテンドの方は今、19時15分、開始から75分経過していると言う。
驚いた。もうそんなに経ってるの?
まだ最初の30分ぐらいだと思っていた。あっという間。
これだけの時間の速さは暗闇だからなのか、それとも未知の体験をしているからか。


わずかばかりの照明を隅に置いただけ、かすかな明るさの残る部屋へと進んでいく。
ここでしばらく目を馴らす。
アテンドの方とパーティーの6人で雑談。
目が不自由でも普段の生活は可能、
駅を歩いていても人々が下りていく気配でそこに階段があることも分かる、
でも、コンビニのATMはどこを押すと何があるのか分からなくて不便ですね、と。
「あー、そうか」と皆うなずく。
最近は iPhone も iPodTouch もボタンを押すと音が出るものができたみたいで、
私にも使えるかも、持ってみたいな、と語っていたのが印象的だった。


パーティーの中の女性の方が、
おじいちゃんの家のあの縁台のあった部屋はどれぐらいの広さだったのか、と質問をする。
逆に、「どれぐらいだと思いますか?」と返される。
女性の方は2畳ぐらい?と答えて、僕は8畳?と。
それぞれに思い描いていたものが違っていた。
アテンドの方は結局、答えを教えてくれず。
実は、かなり狭かったのではないか。
明かりのついた中で「セット」を見てみたら、ものすごく驚くことになると思う。
「え、こんなに狭かったの!?」「こんなだったの!?」と。
暗闇を手探りで進んでいたから
そこは何もかもがものすごく広く感じられたのではないか。
赤外線カメラでその場の模様を中継したら、かなりシュールなことになったのでは。


最後に、なぜ「19時15分」と時間が分かったのかカラクリを教えてもらう。
アナログの腕時計で、長針と秒針が触れるようになっている。
触らせてもらうと文字盤に細かな突起があって、
恐らく点字で数字が読み取れるようになっているのだろう。
こういう腕時計は普通の時計屋には置いていないが、
頼めばすぐ取り寄せてもらえるものだとのこと。
海外には文字盤の大きいものがあったり、様々なタイプが選べるようだ。


もう少し明るい部屋に移って、ここでアテンドの方とはお別れ。
アンケートを書く。
パーティーの方たちと「お疲れ様でした」と言い合って、そこで解散。
ダイアログ・イン・ザ・ダークのプログラムはこんなふうにして終わった。
そこには一言で「ユニークな体験だった」では済まされない、特別なものがあった。