AT賞を終えて、その後

以下、月曜の夜、師範・師範代・教室の皆に充てて書いた長い手紙の抜粋。
ここに載せるのもどうかと迷ったけど、
日曜の日記がそれっきりになってしまうのもなんだよなあと。


読み返してみると宗教団体が洗脳しているようでもあるが・・・
まあ、いいか。


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こんばんは。岡村です。


今回の件につきましてはお騒がせしました。
あれから数日、かなり立ち直りました。
ケロッとしています。


いい意味で、あくまでいい意味で、
3席という結果は僕の中でどうでもよくなりました。
どうでもいい、と言うと言葉がよくないですね。
でも今、なんつうか、うまく言えないです。


また長文になります。すいません。


昨日の師範の「小説」と「物語」の違いについて書かれたのを読んで、
「あ、そうか!」と腑に落ちました。
今回の僕は小説という枠からしか物語というものを眺めることができず、
無理やり押し込めようとして、はみ出たものをあっさり切り捨てていたわけです。
そして見向きもしなかった。
僕がこれまで10何年とかけて磨いてきたつもりの
「小説の枠組」に必死になってしがみついて、そこから飛躍しようとしなかった。
ほんとなら、そこでこそブレイクスルーがあるべきだった。
なんか小さなことにこだわっていたなあと思います。

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立ち直った僕は、当初の予定通り、
この秋は遊の物語コースに進んで、その後、離に行きます。
もう迷いません。


物語コースは、破を受ける前は
「小説を書く足しにでもなれば」ぐらいの気持ちだったのですが、
今では破で大きくやり残したことがあるから、もう一度やり直したくて。
今度こそきちんと物語に立ち向かってみたい。
物語というものの大きさと深さが今更ながらジワジワと見えてきました。


離の後で、師範代やります。
師範代の言うように先に師範代をやるべきなんでしょうけど、
正直今の僕には引き受けられないです。
このままだと僕も学衆と一緒になって迷ってしまいそうで。
自分の中で「やりきった!」と言える何かを掴んでからにしたいです。


守のときの師範代から


「岡村さんは突破したからってすぐ師範代をやっちゃだめ。
 師範代はそれまでに学んだことを次の世代に返すつもりでやりなさい。
 編集とは何か、思い悩んでいるうちはうまくいかない。
 まずは離まで行って、とことん極めなさい」


と言われたんですね。
で、僕は今でも、そうだな、と思っています。

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ここから先の僕のテーマは師範代の言ってたブレイクスルーですね。
今回、持ち前のパワーとスピード(って自分で言うなですが)で
突破まで持って行きましたが、確かに自分でも、突き抜けた感はない。
「学んだ」けど、「変わって」ない。
でも、最後の最後、今回の件で
ちょっとは「揺さぶられた」ように思うので、
そこのところはよかったです。大きなヒントになりました。
(離はそういう「揺さぶり」の場なんじゃないかと予想しています)


>  なぜそういう結果になってしまったかを考えてみると、
>  早めに得られる満足感、それが原因だと私は思います。


>  岡村さんは、傍から見ていると、物の見方が多様では無い、
>  シンプルでまっすぐすぎる感があります。


あとは、ここのところなんですよね。
当事者なので、実はあんまりピンと来ていません。


こういうことなのかと思いました。
僕、物事を判断するのが異様に早いです。何事も即決です。迷いません。
店に入って何を食べるかに始まり、PJ運営の方向性だろうと。
大事なものほど、直観。後付で理由を考えます。


早く決断するとその分時間的なアドバンテージが生まれるので、
上手くいくことの方が多いです。
だからそれでいいのだとついつい思ってしまいます。


なんだか、物事の考え方、生き方の指南を受けたようですね。