「ガルシアの首」

30代も半ばとなると、人生辛いことばかり。いいこと何もない。
あーあとため息をついて、自分のウダウダさ加減にまた、あ゛ー!と心の中で唸ってみたりして。
そんなときには映画が見たくなる。
奮い立つような映画を。バカヤロー!!と張り手で殴られるようなやつを。
そしたら、ペキンパーじゃないですか。男だったら。
そんなわけで「ガルシアの首」を取り寄せて、見てみた。


結果、最高。これだよ、これ。
舞台はメキシコ。賞金を掛けられた男の首を求めて、愛する女と共に車に乗って旅に出る。
それだけ。そしてもちろん、ハッピーエンドなわけはなくて。
でもさ、男の生き様・死に様としてこれ以上のもの、ないんだよね。
サム・ペキンパーって僕、これと「ワイルド・バンチ」しか見ていない。
どちらも描かれているのは愚直なまでの、生き様と死に様。
それ以上のものを監督は求めていない。
真顔で、「俺はこうだと信じている。文句あるか」と。
そうか、とこちらも無言で頷く。
男と男の約束。だから僕も、無条件に信じる。
ペキンパーははっきり言って映画の撮り方が下手だ。
21世紀の今見ると、無骨というか不器用すぎる。
名刺代わりの撃って撃って撃ちまくるシーンのスローモーションも、紙一重だと思う。
だけどそれ故に、胸倉掴んでその目を覗き込む、そういうものになりえるんですね。


映画ってさ、結局ファンタジーなんだよ。
自分にないものを求める。
等身大の主人公がウダウダとした日常を最初から最後まで過ごす、なんてものは見たくない。
しかも金払って。
でさ、男が見たいものってはっきり言ってこれ、ハードボイルド。
永遠の憧れ。
ガルシアの首」には、ハードボイルドにとって大事な3つの要素が前面に打ち出されている。
どん底の状況であろうと付き従い、心配し、無条件に愛してくれる女
 (そしてその女を失う悲しみ)
・明日をも知れぬ無常の人生
・自分にだけは正当な理由のある、破滅的なバイオレンス


ガルシアの墓まで辿り着いて、真夜中、墓をあばく。
その瞬間、スコップで殴られる。
気がつくと、自分は土の中に埋められていた。愛する女と共に。そして女は、死んでいた。
主人公は朝、車に乗って、奴らを追う。
見つけて、殺す。銃を向けて撃つ。
虫の息。そこにあえて、もう一発撃つ。
主人公は観客の男たちに向かって語りかけるかのように題詞を言う。
「なぜか? …撃つと気が晴れるからさ」
これだよ、これ。
主役のウォーレン・ウォーツ、とてもかっこいい。
映画史では地味な俳優だけど。忘れちゃいけないよね。


ガルシアの首」もいいけどさ、やっぱ「ワイルド・バンチ」ってつくづく、ほんといい映画だ。
あいつらが歩いてる場面、ゾクゾクするもんね。
理屈はないけど無条件にカッコイイ。それがどれだけ生み出せるかなんだよなー。
理論じゃない。例えば、「Pulp Fiction」の冒頭の有名なシーン。
強盗のアマンダ・プラマーはファミレスの座席に立って銃を手に、叫びだす。
あれだよ、あれ。


それがかっこよくなかったらさ、誰も映画なんて見ないんだよ。