ファンタジー

とある方とメールでやりとりをしていて、
以前問われていたことを、ふと、思い出す。
返していなかったので、返そうとして書き始めて、
いや、ブログに残しておこうと考え直す。
書いているうちに、私信を越えてしまった。


この文章を読んでくれているだろうと信じて。

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(前略)


ふと、答え忘れていた質問があったことを思い出しました。


> 岡村氏はメイド体験はあり?


あるんですね。
秋葉原メイド喫茶に行くってことなら。
僕自身はアキバ的なもの全般が苦手ですが。


3年か4年前に、ひやかしで行きました。
とあるビルの2階だったのですが、僕らの前には、
全身に海上自衛隊の真っ白な制服を着た
にきび面のまだ18か19と思われる若者が立っていました。
彼は、見るからに緊張していました。
オドオドしつつも、必死になって、
何食わぬ顔をしてそれを隠そうとしていました。


長い長い洋上生活。
いろんなファンタジーを夢見たことでしょう。
そのファンタジーが今、扉の向こうに待っているわけです。
メイドたちがニコッと笑顔を浮かべて、
「お帰りなさいませ、ご主人様」と迎え入れる。
ああ、その瞬間。


僕らからしたら、彼女たちは皆、ただのメイドに憧れるバイトの子たち。
それ以上でもそれ以下でもなく。
ふーん、とか、へー、とか心の中で思う。
すれてるっつうかなんつうか。
居心地の悪い思いをしながら。


今思うと、あのときの若者のいかに幸福なことか。
信じられるファンタジーが現実の世界にあって、
そこに今、手が届くのです。


ファンタジーって、きっと必要なんですよ。
世界とか物語とかに入っていく、リンクするために。手続きとして。
想像する、ということ。
現実という(名で誤解している)澱みを脱ぎ捨てて、自らのあるべき姿を。
世界はそこに、たぶん、答えてくれる。答えてくれるはず。
その、希望とでも呼ぶべきもの。
最近「1Q84」を読んでるから、なおさらそう思う。


そんなことを考えるとき、アキバ的なファンタジー以外の、
もっと別なファンタジーが東京にはもっと
あってもいいのではないかと思います。


あー、渋谷ってある意味そうなんでしょうけど。
でもそれは、女子高生にしか効果のない魔法のようなもの。
30過ぎた僕にとっては、渋谷は渋谷。
シネマライズとか短館上映の映画館があって、
HMVタワレコの大きな店舗があって、
おしゃれなCDを売っているセレクトショップがあって。


どうして、いつのまに、
「現実と信じ込んでるもの」しか視界に入らなくなってしまったのでしょう?


いや、話をちょっと戻して。
ファンタジーってものを東京とか具体的な場所に結びつけるのは
そもそも間違いなのかもしれない。
自らの内に求めてみたり、あるいは外、半径3mに求めてみたり。
自らの内に留めておくか、外に発するか。
外に発するならば、それが受け入れられるか。


…なんだかとりとめのないことになってしまいました。
ごめんなさい。


まあそんなわけなんです。
それでは。