夢のディズニーランド

あるとき mixi に書いたことだけど、こういうことを考えた。


・一人で、ディズニーシー、その後、
・一人で、アンバサダーかミラコスタに泊まる、翌日、
・一人で、ディズニーランド


 → その心象風景をレポートとして綴る


※そもそも、アンバサダーとかってシングルの部屋あるんだろうか?
※ディズニーなんとかって中学の就学旅行以来行ったことない

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別にディズニーランドにもう一度行ってみたいとか、ディズニーシーを見てみたいとか、
そういう気持ちは皆無。
この世で何が一人ポツンとして寂しいかってのを考えた結果が、こうなった。


孤独なんだろうな。
初日はディズニーシー。
列に並んで、アトラクションに乗って、というのを淡々と繰り返す。
賑やかな音楽。楽しそうな笑顔。キラキラとした海辺。


夜、ホテルに泊まってすることもなくて、
持ってきた小説を読みながら缶ビールを買って飲むだけなのだろう。
出張の夜にビジネスホテルに泊まるのと一緒。
花火とかパレードの見える部屋を選んで、ガラス越しに無言で眺める。


次の日、ディズニーランドで同じことを繰り返す。
日が暮れてきて、帰ってくる。
電車に乗る。周りは、楽しそうにしているカップルや親子連ればっかりだ。
お土産の入った袋を手に。子どもたちはミッキーの耳のような髪飾りをかぶっている。
たぶん僕は何事にも無関係なように、小説の続きを読むのだろう。
ギフトショップに入ったところで欲しいものはなくて、手ぶらのまま。
誰も僕がディズニー帰りとは思わない。


もしかしたら、2日間、誰とも一言も話さずに済ますことも可能かもしれない。


楽しいことなんて、何一つないんだろうな。
こんな僕が帰ってきて「ディズニーランド楽しかった!!」って報告してたら、
そんなことができたら、
ディズニーランドってほんとすごいよ。

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これ、土日でやろうとしたら10万ぐらいかかってしまうのではないか。
ホテル代が高くて。
ディズニー直営ホテルじゃなかったらもっと安上がりに済みそうだけど、それだと意味がない。


孤独のなんたるかを考えるために、ここまでする価値はあるだろうか?

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それにしても、なんで女の子はディズニーランドとかディズニーシーってのが好きなんだろう?
理論的にも感覚的にも、分かりそうで分かんない。


「楽しい」からなんだろうか。だとしたらそれは何が楽しいのだろうか?
退屈な日常生活から抜け出して、お姫様気分を味わう?
その手のありがちな理由なのだろうか。


言葉では言い尽くせない「魔法」があるから、なのだろうか?


今の僕は「どうせ」とハスに構えていて、その魔法に積極的に身を委ねることができない。
ディズニーランドを夢の象徴と思っていない。
そういう僕は、端的に言って不幸なのだろうか?