三角関係の意味

サマーウォーズ」と比べて「時をかける少女」が断然いい理由ってのを考える。
いろいろあるんだろうけど、
1つには「時をかける少女」の主要キャラクターが3人という人数で、
最初から最後まで揺ぎ無いってのがいいのだと思う。
先日書いたように、
「重心が常に3人の間にあって、トライアングルの絶妙なバランスを保ち続ける」わけです。


3人という構図。
これが最もシンプルかつ堅固で、理解しやすくて、
それ故に最も安心して見ていられるのではないか?


 1)主人公
 2)主人公と敵対する人
 3)主人公の追い求める人


映画の中にはこの3者がいて、1)と2)や1)と3)の間で、
そして優れた映画ならば2)と3)の間で、
言葉や行為のやり取りを介した関係性の変化、感情の変化が描かれる。
抽象的に言えば、ただそれだけのこと。
そこに始まりと終わりを与える。時間的な区切り。
物語というかストーリーはそこから立ち上がってくる。
そして、小道具とか背景とか事件ってのでバリエーションをつけていく。


2)はいいですよね。言葉の通り。
3)は多くの場合、主人公の現在ないしは未来の恋人ということになるのだろう。
恋人で言うならば、2)は主人公の過去の恋人など。
 →三角関係を描くストーリーが成立する。


そう、なぜ三角関係を描いた映画が世の中には多いのか?
それは映画というものが3人を描くのが最も収まりがよいからだ。
4人でもなく、2人でもなく、1人でもない。


この3者のバランスの変化の妙に、観客はその映画の良し悪しを見るのだと思う。
優雅な構図もあれば、冷徹な構図もあるだろう。
移ろい行く様に美しさを見出すこともあるだろう。
3人を貫く力学のダイナミックさ斬新なものを見出すだろう。

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もちろん、2)の役割だった人物と3)の役割だった人物が
映画の中で入れ替わるということだってありえる。
でもそれはややこしいことになるので、やめたほうがいい。
観客は常に分かりやすいものを求めものだから。


2)と3)の要素を兼ね備えた人物が主人公の他に2人出てくるという映画も
成立させるのが難しい。
例えば今、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」に出てくる
「作家」と「教授」を思い出す。「ストーカー」と3人で「ゾーン」を探検する。
一見トライアングルのようでいて、成立していない。
結局は案内する人とされる人の2人だけなんですね。


そう、これら3つの役割は必ずしもそれぞれ1人ずつに固定されるわけではない。
E.T.」だと、1)E.T. 2)大人たち 3)子供たちってなりますよね。
図式としては成り立つ。でも、複数人の集団となると
細やかな感情の移り変わりを表現しにくくて、たいがいは大雑把なものになる。
(ものすごくザックリ言うと観客は葛藤とその解消のされ方とが見たいのであり、
 それは一個人にシンボル化された方が捉えやすい)

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2人だけの映画では、なぜダメなのだろう?
男と女がいて愛を求め合う、ただそれだけでは映画は成り立たないのだろうか?
いや、成り立つ。
こじつけてよいならば、人間以外の第3者が潜在的にそこにはいるのだろう。
2人の間に流れる時間というものであるとか。社会的な状況であるとか。
もしかしたら2人を撮影する視線としてのカメラの存在なのかもしれない。
(そして実はそういったものが、2人を撮る理由になる。物語が生まれる契機になる)


その映画ではどういう3者によって力学が生み出されているのか?
そんな整理の仕方もあるだろう。
逆に、3者によって整理できないのならば何かが過剰で、無駄があるのかもしれない。
あるいは、そもそも何かが足りないのかもしれない。


この方法だと、タルコフスキーの「ストーカー」だと
1)案内する人 2)される人たち 3)ゾーンってことになる。

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編集学校の課題で「エイリアン」を何度も繰り返して見た。
中学生の頃から好きな映画なんだけど、
これまでずっとどことなくなんとなく何かが引っかかっていた。どこか落ち着かない。
ある日ふと気付く。
エイリアン vs リプリー(人類)という構図に物足りなさがあったのだ。
そして読み解くうちにようやく見えてきた。
この映画は、1)エイリアン 2)会社 3)リプリー(人類) ということだったのだ。
なんとなく、腑に落ちた。


でもこういう解釈も正解ってものはなくて、
何を地とし、何を図とするかでもちろん変わってくる。


時をかける少女」は
1)真琴 2)功介 3)千昭 なのかもしれないし、
1)真琴 2)千昭 3)功介 なのかもしれない。
1)真琴 2)タイムリープ 3) 淡い恋心 かもしれない。


スクリーンを前にしてて、幾通りもの可能性がすっと見えてくる。
で、どれが一番しっくり来るだろうか?と無意識化で考えている。


サマーウォーズ」だとこれが見えにくいんですね。
登場人物で言えば、主人公の健二、ヒロインの夏希はいいとして、3人目は誰なのか?
モンスターを生み出した侘助なのか、OZの格闘王カズマなのか、
それとも全ての糸を陰で引くおばあちゃんなのか。
選べない。しかも、この5人が対等に出たり消えたりしていて、
そのシーンごとの重要人物がどんどん切り替わっていく。
余りにも民主主義的過ぎて、逆に居心地が悪い。
1本筋が通ってないように感じられる。
1)健二 2)ラブマシーン 3)大家族が楽しく暮らすこと
ってことではあるんだろうけど・・・
結局ややこしい。

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今日の結論としては、「時をかける少女」のように
男女の三角関係を描くのが最も映画らしいってことになるのだが、
果たしてそれでいいのだろうか・・・?