昨日書いたことの続き。
別の方面からアプローチする。
物語がどこから生まれてきたかと言うと、
人間が猿から進化して言葉を話すようになったけど文字というものがなかった頃に遡る。
他に記憶する手段、人に伝えて共有する手段がなかったが故に口伝えされていったもの。
僕なんかが言うまでもなく、そういうことなのだと思う。
長い文章を暗誦して、記憶する。間違いなく人前で語って、再現する。
だとしたらそれはどうでもいい話のわけがなくて、
同時代の人たちや後の時代の人たちとどうしても共有したい出来事、
身の回りの人たちや遠方の人たちと共有したい出来事、となる。
端的に言ってそれは、教訓とか世の中のルール全般、というか
人が人として生きるに当たって必要とされる物事を教える、
自ら体験しなくても擬似的にその模様をイメージさせ、導くものとなるだろう。
そしてそれが人々に聞かれて心地よいものとか刺激的なものとなるためには、
何度も何度も聞くに値するものとなるためには、
魅力的な登場人物が出てきて、波乱万丈の冒険を繰り広げるものがよいだろう。
そこからギリシャ神話の数々や「オデュッセイア」が生まれてくる。
あるいは、民話や昔話。
その場合、子供たちが
「この前のお話、また聞かせて」と言い出すようなものでなければならない。
そしてそれは語り継がれていくうちに洗練されていく。
あるいは、細部が改変されていく。
その地方の風物に合わせる。その当時流布していた噂の人物を当てはめる。
聞いた人の記憶に何を留めたいか、何を理解させ、何を行動させたいかという
本質的な部分は地下水脈として変わらず流れ続け、
表面的な部分はどんどん移り変わっていく。
結果、似たような話が全世界に存在するということになる。
例えば、民話の「鉢かづき姫」が日本版のシンデレラであるとか。
エジプトにその期限があるとか。
(この場合ペローやグリムの作品が小説で、その原型が物語だ、ということになるだろう)
20世紀になって「原型」は研究の対象となり、
例えばウラジーミル・プロップが構造分析を元に昔話の類型化を行ったとか、
(登場人物だと、7つの役割となる:
敵対者(加害者) / 贈与者 / 助力者 /
王女(探し求められる者)とその父 / 派遣者(送り出す者) / 主人公 / ニセ主人公)
UCLAでジョセフ・キャンベルの神話学の講義を受けたジョージ・ルーカスが
典型的な英雄譚の構造を元に「スター・ウォーズ」の筋書きを形作ったとか。
(旅立ち → 目的に出会う → 最大の敵と戦う → 帰る)
紀元前から語り継がれていくうちに
直接的な教訓や伝達事項は失われていって、
人の心を動かす仕組みだけが残っていった、
それが現代における物語なのではないか。
続きはまた、今度。