「バージニア・ウルフなんかこわくない」

編集学校の課題の関係で今から100年前の物事を調べているうちに
ブルームズベリー・グループに興味を持ち、
その中でもヴァージニア・ウルフがやはり気になって。
評伝を書くっていうことで、関係しそうな映画を何本か TSUTAYA DISCAS で借りて見てみた。
ウィトゲンシュタイン」「めぐりあう時間たち
ハワーズ・エンド」「バージニア・ウルフなんかこわくない


このうち、最も感銘深かった「バージニア・ウルフなんかこわくない」について書きたい。


1966年のアカデミー賞で、エリザベス・テイラーが主演女優賞。サンディ・デニー助演女優賞
その他に撮影賞(白黒)と美術監督・装置賞(白黒)と衣装デザイン賞(白黒)を獲得。
受賞こそしなかったが、実は作品賞・監督賞を初めとしてほぼ全ての賞にノミネートされている。
この年の最多、13部門。
主演男優賞に(当時エリザベス・テイラーの夫だった)リチャード・バートン
助演男優賞ジョージ・シーガルがノミネートされた。
この映画、この4人しか登場しないに等しい。
その4人が皆ノミネートされて、そのうち2人が受賞。
この事実だけで、これがどういう映画か分かると思う。
本来はブロードウェイでヒットした、エドワード・アルビーの舞台劇だった。
そう、芸達者な役者たちの火花散る演技のぶつかり合い。惚れ惚れする。


アメリカのどっかの大学。どこもそうなんだろうけど敷地の中に教授たちの住む家があって、
その中の1つで学長主催のパーティーが開かれた。
それが終わったのか抜け出したのか、
リチャード・バートンエリザベス・テイラーの初老の夫婦が酔っぱらって自分たちの家に戻ってくる。
そこにパーティーで出会った若い夫婦が呼ばれて、パーティーの続き。
酔っぱらった4人はそれぞれが味方になり、敵になり、くんずほつれつ廻り廻ってわけの分かんないことに。
大学教授とその妻なのに、哲学とか難しいことは一切話さない。
骨の髄まで俗物。処世術がどうのこうの、酔っぱらってずっと、そんな会話。
人間という生き物の業の深さを知る。
エリザベス・テイラーは学長の娘なのに、それを知って結婚したのに、
リチャード・バートンは万年助教授のままで尻に敷かれてて、他の教授の妻を追いかけるのに夢中だとか。
若い夫婦の男性の方は19歳にして修士号を獲得して、
大学代表のフットボールの選手に選ばれてボクシングもやってて素晴らしい肉体を持ってて、
なのにテレビ伝道師の走りみたいな男の娘が金持ちだってんで目がくらんで、
妊娠したっていうのが想像妊娠だろうとお構いなしに結婚してしまったとか。
そんな4人が酔っぱらったのをいいことにエゴむき出しで罵り合う。
いや、ほんと素晴らしい映画だった。


そうだ。モノクロの時代の映画は、役者がうまくて当たり前だった。
それが舞台だろうと映画だろうと、本気なのが当たり前だった。
エリザベス・テイラーなんて、当時30代なのに疲れた50代の主婦を演じるために
インスタント食品を食べまくって体重を10kg増やしたという。
(残念なことに特に80年代以後、映画もロックもポップ・ミュージックも産業化して
 アイドルだったら、金になったら、下手でも良しとされた。それはまた、別な話)


見てて結局、ヴァージニア・ウルフは何の関係もなかった。
また聞きだけどディズニー・アニメ『三匹のこぶた』の挿入歌「狼なんかこわくない」の替え歌で
バージニア・ウルフなんてこわくない」と歌う、それが何度か印象的に使われる、ただそれだけ。
でもね、これがヴァージニア・ウルフである必然性は
どことなくなんとなくそこにはあったように思う。
酔っぱらった男、夫たちが「女性の立場って妻以外に結局何なんよ?」って考えだしたら、
そりゃフェミニズムの代表格(と不本意ながらされた)ヴァージニア・ウルフが連想するだろうね。
当時の一般的な知識人の一般的な知識からしてみれば。
彼らにしてみれば声高に権利を主張して、対等であると宣言する女ないしは妻が怖かった。
だから「こわくない」なんてうそぶいてもみたくなった。
そういうこと。
女、女性、妻を対等な人間とみなして対等に喧嘩したら、そりゃ大変なことになるよ。
お互い、消耗戦となる。
結果、何か分かったような気がして、どこにも辿りつかない。
映画もまた、そんなふうにして終わる。
(息子の話の真偽ってのがポイントとしてあって、それはやはり歪んだ結末に陥る)


この映画についてもう1つ語るべきは、マイク・ニコルズの監督第一作だということにある。
「卒業」でその名を馳せたマイク・ニコルズ
その最高傑作ってこの「バージニア・ウルフなんかこわくない」であって、
第二作の「卒業」が大衆に歩み寄った、そういうことじゃないか?
その次の「キャッチ=22」が凡庸な普通の作品で、
(原作の「キャッチ=22」に対する僕の強い思いがそうさせるのかもしれないけど)
80年代の「ブルースが聞こえる」とかってものすごく普通の作品で作家性のかけらもなくて、
気が付いたら近年、「クローサー」を撮っていた。
ジュリア・ロバーツジュード・ロウナタリー・ポートマンクライヴ・オーウェン主演。
これ自身は興味深い作品なんだけど(特に、Damien Rice「The Blowers Daughter」が)
「卒業」からは100万光年、遠い。
なんなんだろ、この監督。
一言で言うと、一貫性がない。
でも、時々話題作を撮って食いつないでいる。
もしかしてこの人、心の底から敗残者なのではないか。
なのに、スノッブな自分を捨てきれない。
なんだか、たちが悪い。