『指輪物語』『ロード・オブ・ザ・リング』

この秋から冬にかけて編集学校の物語講座を受けるに当たって、
「これぞ物語」的な超大作に事前に触れておきたいと考えた。
真っ先に思い浮かんだのが『指輪物語』相手にとって不足はなし。
結局物語講座が終わっても全部読み通せず・・・


世の中にあまたある(剣と竜の)ファンタジーの原型を形作ったのがこの作品であるという。
作品を貫く世界観、その歴史や言葉の揺るぎなさと途方もなさの成せる業か。
とにかく圧倒される。昔から語り継がれてきた物語であるかのよう。
この大著を書き記したトールキンは元々オックスフォード大学の英文学の教授。
小さい時より言語を独自の言語を形作ることが好きで
古語の研究を続けるうちにそれがエルフの話す言語へと発展していったという。
物語というものを構成する要素が、
世界観、物語るという行為、媒体としての言葉、この3つからなり立つとするならば
どの要素も最高級。だからこそ不朽の名声を得られたのだと思う。


最初のうちは確かにタルカッタ。
冒険の旅に出るまでが長くて、出ても子供だましの話ばかりで。
それが旅の間にどんどんその調子を挙げていって
戦いの場面の臨場感、エルフの里での幻想的な美しさ、などなど名場面が続く。
(日本語版はあの独特な挿絵が良いのだと思う)


合わせて映画版、つまりピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』の3部作も鑑賞した。
ものすごく忠実な映画化で驚いた。
たくさんの登場人物が出てきて、地図というか地理的関係がそのままで、出来事が複雑に入り組んでいて。
これ、原作読んでない人には話がついていけるのだろうか?
ローハンとゴンドールの関係性だとかさ。
例えばファラミアってどっちの人だったっけ? って読んだ僕ですら迷う。


この3部作も各作品がどれも3時間近く。
長時間なようでいて原作を読んだ人ならば知っている通りそれでもかなりすっ飛ばしている。
1作目、「裂け谷」到着までが1時間ちょっとというところに驚かされた。
それでも主要なストーリーのエッセンスが全然取りこぼされない。
このシリーズの成功はこの脚本にあるのだな、と思った。
もちろん脚本だけが全てではなく、トータルな演出力というかシーンの統率力が抜きんでていた。
巨大な悪の化身が洞窟の中を追って来たり、何千もの兵士たちが戦ったりと見せ場がちゃんとあって、
それが圧倒的なスケールで描かれる。
これは劇場で見ておくべきだった。


可能ならば多くの人に
本を読んで、映画を見るという流れを是非とも辿ってほしいと思う。
映画を見て終わってしまうのはとてももったいない。

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なお、個人的に好きなキャラクターはゴラムというかスメアゴルというか、原作だとゴクリ。
(なんで映画ではゴクリの名前が使われなかったのだろう?)
「いとしいしと」という名フレーズが映画の字幕にも出てきたのは嬉しかった。
本当は指輪に翻弄されて数奇な人生を辿ったはずなのに
ちっぽけな悪党になり下がってある意味狂言回し的人物の一人になるという。
最後、彼が果たした役目は感慨深かった。


あと、サム。実は一番物事を救ったのは主人公フロドではなくサムではないか?
フロドは指輪に翻弄されて突き動かされただけ、
実は自分で決定して進めた物事は少ないのではないか。

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原作と映画の違う個所として
エンディングの一歩手前のホビット庄での出来事がはしょられたのがとても気になった。
確かに映画としては不要なんだろうけど。
寓意性というものを嫌ったトールキン
(そう、指輪は核兵器のことではなく、あるがままの指輪であるという)
が最後の最後、極端に寓意的な意匠をまとったエピソードを挿入した。
それまで押さえていたものが遂に押さえきれず溢れ出したかのよう。
この個所、他とトーンが違っててとても印象的なんですね。


指輪物語』はあくまで物語であって、直接的なメッセージではない。
聞いた、読んだ、触れた人がそこにワクワクした気持ちを抱けばそれでいい。
その意志を映画も受け継いだのならば、僕はピーター・ジャクソン監督に敬服する。