『パリ20区、僕たちのクラス』

昨日の夜、岩波ホールに『パリ20区、僕たちのクラス』を見に行った。
神保町で長いこと働いてきたのに、実は初めて。
なんだか格式があって、敷居が高そうで・・・
入ってみたらやはり年齢層が高く、
眼鏡をかけてスカーフを巻いた知的なおばさんたちというか。


2008年度のカンヌでパルムドール
ローラン・カンテ監督という名前は全然聞いたことがなく、
公開も2年遅れでようやく1箇所のみ。


手持ちカメラで照明なし、擬似ドキュメンタリー風、音楽はいっさい流れない。
ダルデンヌ兄弟の作風と表面的な感触がよく似ている。
カンヌってこういうの好きなんだろうな、と思わせる。
プログラムを読んでいたら1年間みっちりリハーサルを行ったとのことで、
その辺りもダルデンヌ兄弟に通じるところがある。
テイクを重ねるというところも。
でも、ダルデンヌ兄弟だと完璧主義ゆえに繰り返すところを
このローラン・カンテは撮りながらテイクを変質させていくようだ。
(最初は長く全体を撮って、次は短く焦点を絞っていく。
 3台のカメラの捉える対象が主人公の先生、発言している生徒、教室と
 役割が明確に決まっている。
 たぶんそれがうまくカットを割ることにつながっているのでは)


確かに、細部の描き方に差異があるように思う。
ダルデンヌ兄弟の作品が点のつながって
薄っすらと儚い線になっていく過程を描いていくようだとしたら
パリ20区、僕たちのクラス』は最初からしなやかな線がすっと伸びている。


マリ、モロッコ、中国、カリブ海の島。
移民たちの多く住む、パリ20区の公立中学。1年間の国語の授業。24人の生徒たち。
(裕福な家の子は私立の学校に入る)
大人である先生と、大人の入口に立った子供たちが本気でぶつかり合う。
言葉と言葉を徹底的にやり合う。
問題児がいて、うまく溶け込めない子がいて、思春期で。
先生は彼ら・彼女たちの可能性を開く手助けをしたいと願っている。
授業にて正しい言葉を愚直に教え続けることが彼にとっての唯一の手段となる。
しかし、何よりも悩める子供たちに、その思いが伝わらない。
教育の場は脆くて切ないものとなる。


真摯な映画だった。
人間が集まって、状況をよりよくしようとして、
あるいは責任をきちんと果たそうとして、意見を交わし、戦わせる。
人としてとても大切なことの一つが丹念に描かれていた。
物事の本質に立ち返ったかのようだった。


世の中のほとんどの映画で登場人物たちが発しているのは
活きた言葉ではなく、単なるセリフだ。
次の場面につなぐためのセリフと
「ああ」とか「今日は天気がいい」といったような反応のセリフ。
それを順番通りに声に出して並べているだけ。
そんなの、つまらないよな。
僕がこれまで見てきた映画って、いったいなんだったのだろう。


必見。でも、全国のシネコンでロードショーってはなんか違う。
やはり岩波ホールが似合うのか。
(DVDになったら絶対買います)