『バッド・ルーテナント』

日曜の夜、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の最新作『バッド・ルーテナント』を見た。
アベルフェラーラ監督の作品のリメイクとなるが、
借りたのは設定だけで、全然別の作品と言っていいだろう。


アベルフェラーラがすごいと聞いたのは
学生時代の夜勤のバイトで調剤薬局の事務をやっていたときだった。
バイトで深夜の薬剤師をやっている面々の中に、
マニアックな映画にやたら詳しい人がいた。
「いやーすごいよ、オカムラ君あれは見なよ」と言われて見たものの、
作品の独特の臭みにいいも悪いも・・・、という状態。
とはいえものすごく背徳的で、映画にしたところで
全然儲からない題材だということはすぐに分かった。
そしてそういうのが好きなのだろうと。
気になったけど、入手しにくいということもあって、以来他の作品は見ていない。


一方、ヴェルナー・ヘルツォークは大好き。
この人こそ映画「監督」だと思う。
作品というのは個々の場面がどうこうじゃなくて
全体としてガツンとどうなのよ?
どんな「世界」を描きたいのよ?
そうなったとき、この人ほど愚直に自分を出しきる人は他にいない。
いや、ほんと、デヴィッド・リンチよりも「その世界」に入れ込んでて、
ジョン・ウォータースよりもスタイリッシュなキチガイ
感動する。素直に、心、動かされる。
船が山を登る『フィツカラルド』は男として、ガチの勝負で泣いた。
「あなたの好きな映画10本を選ぶ」というとき、
『フィツカラルド』を永遠の10位とし不動とすることを決めた。
ラストシーンの椅子のように。
(まあ、もちろん、そんなこと聞かれるわけはないのですが)


そんな僕としてはこの『バッド・ルーテナント』物足りなく。
デヴィッド・リンチやジョン・ウォータースの最新作なら及第点だろうけど
なんでヘルツォークの最新作がこの程度なのだろうと。
世界も作品もグネグネと歪んでてどうしようもないのは確か。
でも端的に言って、ロマンがない。華がない。
コブラ・ヴェルデ』のラストシーン、クラウス・キンスキーは無駄だと知ってて
それでも浜辺で動かない舟を曳く。曳き続ける。あれがどれだけ泣かせるか。
そうなんですよね。この人、基本はどうしようもないぐらいロマンチストなんですよ。


ニコラス・ケイジが無駄にすごい。なぜそこまで怪演するという。
このところ『アダプテーション』と『バッド・ルーテナント』を見てわかった。
今最もイカレてる役者はニコラス・ケイジだ。
なのに日本では今でも、枕詞はアカデミー賞主演男優。
このギャップなんなのだろう。